登録名を「イチロー」としたのは、オリックス入団3年目の1994年だった。鈴木一朗の原風景は、愛工大名電高(愛知)にある。卒業から33年。2019年の現役引退後、20年からは毎年、全国の高校を回り、昨年11月18日には、後輩の下へ電撃訪問した。高校3年間、コーチとして携わった指導者がエピソードを語る。 取材・構成=岡本朋祐 写真=BBM 
3年間、コーチとして指導した愛工大名電高・倉野監督はイチロー氏の野球殿堂を喜んだ。合宿所玄関には3年春のセンバツ[1991年]で着用したユニフォームが飾られている
11校目に選んだ母校指導
1月16日。日本の野球殿堂入り通知式におけるイチロー氏のスピーチは、次世代への「普及・振興」が話の軸だった。
「未来を担う子どもたち、主に高校生なんですけど、彼らとの出会いを通じて、それが僕の大いなる目標になっていて、モチベーションになっている状況です。さまざまな要因から、今の野球が変わっているわけですけど、そういう意味で、やっぱり子どもたちが向き合う野球は、純粋なものであってほしいと願っています。時代が変わっていくこともあります。でも、やっぱり変えてはいけないものというものもあると思うんですね。そこを僕は強く意識して、これから子どもたちと接していきたい」
2019年の引退後、同年に学生野球資格回復のための研修を受け、20年2月7日、日本学生野球協会から認定された。高校生の現場指導が可能になった。伝道師。同年12月の智弁和歌山高を皮切りに、毎年オフシーズンに2~3校を訪問。24年は3校を指導し11月18日、11校目に選んだのは母校・愛工大名電高だった。
事前にイチロー氏の訪問が知らされていたのは、倉野光生監督とごく一部の学校関係者のみ。選手たちには「テレビ収録がある」ということのみ指示していた。保護者に対しては、練習試合と同様の形で「見学OK」と通達していたが、撮影のほかSNS投稿などは一切禁止。厳戒態勢の中で、当日を迎えたのだった。
「私自身、本当に来るの? と半信半疑だったんです(苦笑)。イチローは昨年10月22日に51歳になって、名電に指導しに来てくれました。これも巡り合わせなのか……。本人にも聞いていませんが、うまいこと、ついて回っているんですね」
データ偏重に警鐘
愛工大名電高は「データ野球」の最先端を行っている。打球速度など数値化して、スイング軌道なども動作解析で研究。部員には専門のアナリストも在籍する。
イチロー氏は冒頭のスピーチにもあるように、昨今の野球界で浸透している、データ偏重の傾向に警鐘を鳴らしてきた。日本の野球殿堂入りの際、野球殿堂博物館から「日本の野球界や野球人は何を大切にし、どう行動すれば良いとお考えでしょうか」との書面での質問に対して「長い時間をかけて築いてきたことには理由があります。一時的な利益のために大切なものを失ってほしくない。大胆な変化には良いこともありますが、気がついたときには手遅れということはよくあることなので、その判断は慎重すぎるぐらいのスタンスで」と答えている。
母校でも「自分で考えて動く」「感性」を訴えた。四番・三塁の主将・清水隆太主将(新3年)はこう受け止めていた。
「データを収集して、どうすれば打てるか、良いボールが投げられるかを分析して取り組んでいます。でも、それだけに頼っていたらダメなんです。イチローさんからは・・・
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