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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

斎藤雅樹(元巨人)インタビュー<4>三本柱で最も成績を残した理由は「ツイていた」

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昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。「平成の大投手」こと、巨人のエースだった斎藤雅樹さんの最終回は、11連続完投勝利を挙げた1989年の話からスタートです。
文=落合修一

斎藤雅樹


20勝目をかけた試合で“先発拒否”


──1989年に藤田元司監督が6年ぶりに復帰しました。

斎藤 僕を語る上で藤田監督は外せません。もともと、83年にサイドスローへと転向させてくれたのが藤田監督。89年は技術的な変化が特別にあったわけではありませんが、起用法でしょうね。体力がついてきたこともあって、最後まで行け、となりました。それまでは途中で打たれると交代させられていたのですが。

──89年は11試合連続完投勝利の日本記録。

斎藤 11連続の最初の完投勝利のとき(89年5月10日、大洋戦=横浜)、8回に5対4と1点差まで追い上げられ、僕は「チームが勝つために、早く代えてよ」と思っていましたよ。しかし、藤田監督は「負けてもいいから、今日は斎藤と心中だ」というのがあったと思うんです。マウンドに来られて「代えないぞ。お前が自分で何とかしろ」と言われました。その回は抑えましたが、今の野球だったら1点差の9回はクローザーが出ますよね。でも9回も僕が投げた。その完投勝利が自信になり、そこから始まったんです。

──チームが勝つためにはほかの投手に交代したほうがいいと思っていたのですか。

斎藤 その日だけではなく、それまでは何度も思っていましたよ。

──さすがに、11試合連続完投勝利の後半くらいになると気持ちは変わりましたよね?

斎藤 はい。あと何試合で新記録だとか耳に入ってくるじゃないですか。その時点の最多記録は鈴木啓示さん(近鉄)の10試合連続だ、あと何試合だ、とか。そうなると意識して、次も完投で勝ってやろうと思いますよね。

──あのころのジャイアンツは強かったし、負ける気がしなかったのではないですか。

斎藤 そうですね。自信満々で投げていたと思いますよ。

──89年は「20勝」という数字にもこだわりましたか。

斎藤 シーズン最終戦(10月13日、ヤクルト戦=神宮)に先発して20勝目だったのですが、当初はお断りしたんですよ。僕はその時点で防御率1位。勝ち星はすでに中日移籍1年目の西本聖さんが20勝していました。僕も20勝目を狙ったところで打たれたら・・・

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