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“1県1校”以前の勢力構成を振り返る

複雑で遠いゆえに尊い「甲子園への道」

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1都道府県1校以上という、夏の大会出場校枠が当たり前になっている現在では、3県からようやく1校などという時代は想像できないだろう。しかし、それが当然というのが以前の中等野球、高校野球ファンの受け止め方だった。「よく勝ち抜いたねえ。甲子園は本当に遠いなあ」がファンの気持ち。山は高きがゆえに尊からずだが、アルプススタンドは、高く、遠いゆえに尊かったのである。現在とは地区割がまるで違った時代の「甲子園への道」を振り返ってみる。

文=大内隆雄

なぜか第1回から兵庫県のみが単独で代表の不思議

 豊中、鳴尾の時代はさておき、まずは甲子園が初めて舞台になった1924年の第10回大会当時の、全国の中等野球の形を眺めてみよう。

 この大会の全国の参加校数は263。地区大会は、どんな区分になったかというと、北海道、東北、関東、東京、神静、甲信越、東海、北陸、京津、大阪、兵庫、紀和、山陽、山陰、四国、九州の国内16地区と海外の朝鮮、台湾、満州の3地区。この19代表が夏の大会を戦う権利を持つわけである・・・

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