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無茶を承知で最強同士を戦わせれば?

スペシャルコラム「矛と盾の戦い」

 

大相撲のファンの世界ではよく「双葉山と大鵬はどちらが強い?」といった問いがなされる。
もちろん、正解などないのだが、個人競技の場合、この比較は楽しいし、夢がある。
しかし、プロ野球の世界では、時代の異なった強チームを比較するのは極めて難しい。
用具、戦術、ルールそのほかの面で違いがあり過ぎるからだ。
それでもあえて、時代の違うチームを比較、対決をさせてみると――。

 日本のプロ野球史上、初の“最強チーム”となったのは、プロ野球のスタートした1936年(昭和11年)の年度優勝決定戦(洲崎球場)でタイガース(阪神)を2勝1敗で下した巨人である。と書いても、当時の日本人は、ほとんどこの決定戦には興味を示していなかった。というより、行われていたのさえ知らなかったのではないか。

 日本の野球ファンの視線は、潮が満ちてくると外野が水びたしになる木造スタンドの洲崎球場ではなく、東京のはるか西の神宮球場に注がれていた。あの沢村栄治の3連投で巨人が「日本一」となったのは、12月11日。この年の東京六大学野球秋のリーグ戦は早大が優勝。首位打者は早大の呉明捷。ファンはまだ早大のVと呉の首位打者の余韻にひたっていた。呉は翌37年春の早慶1回戦に早慶戦史上初のサヨナラ本塁打を叩き込んでいる。また、この春から明大が史上初の4連覇を成し遂げる。まさに六大学野球爛熟(らんじゅく)の時代。日本一を決めるのは、神宮の舞台以外にはなかった。

 早大入学が99パーセント決まっていながら、38年に松山商から巨人入りした千葉茂の「我々は神宮球場の方向をにらみつけながら野球をやった」というセリフは何度も紹介してきたが、まだ紹介していないセリフもある。それは・・・

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