日本プロ野球史上唯一の3000安打超えを成し遂げた張本勲氏。 そして、その張本氏を抑え、日本人選手トップの生涯打率.31918の成績を残している若松勉氏。 日本が誇る天才打者2人は、切磋琢磨したライバルであるとともに、球団の枠を超えた〝師弟関係〟でもあったという。 プロ野球における「ヒット」を語るには欠かせない両者の、至高のトークをお楽しみいただきたい 取材・構成=新ヶ江周二郎 写真=BBM プロ1年目の後悔が
張本氏の今後を変えた 「3085」と「2173」。それぞれ張本、若松両氏が現役時代に積み上げたヒットの数だが、ともにプロ入り時には想像もつかなかった数字だと振り返る。プロ野球選手として歩み始めた一歩目は、偉大な記録へと続く階段の一段目でもあった。 張本 プロ入りのとき、少なからず自信はあったんだけど、3085本もヒットを打てるとは。最初はプロ野球選手としてやっていくだけで精いっぱいだったからね。
若松 私はそもそもプロに入ること自体に抵抗がありました。体も小さいし、それまで北海道出身の選手で大成した選手がいなかった。スカウトが来ても何度も断って、逃げていました。なので、まさかこんな成績を残すことができるとは。中西(太)コーチが北海道まで来て「野球は体の大きさでするもんじゃない」と言ってくださって決意したんですが、あのひと言がなければプロには入っていませんでしたね。
張本 俺の師匠は松木(謙治郎)さんだけど、厳しかったねー。不自由な右手を強くするために、徹底的に右手1本でスイングさせられたもんだよ。「弱いからだ。もっと振れ!」とね。俺もプロに入ったからには「うまいものを食べたい、大きな家に住みたい」という気持ちがあったから、とにかくガムシャラにやったよ。プロとしてやった23年、毎日300スイングは欠かしたことがない。ときには500振ることもあった。とにかくうまくなりたかったんだ。
若松 ヤクルトは、キャンプの初日に若手が全員集められて中西さんの指導を受けるんです。それが日を追うごとに、1人抜け、2人抜け、最後に残った人は私を含めた4、5人。厳しい練習でしたが、私は「試合に出たい。そのためには一生懸命やるしかない」という一心でバットを振っていましたね。結婚もしていましたし、プロで3年ダメだったら北海道へ帰ろうと思っていましたから。その中で1年目から出場機会をいただいたことが大きかったと思います。
張本 若松と違って、私は...
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