5シーズンで3度の優勝と日本一をもたらし、西武黄金時代を支えたデストラーデ。来日後すぐに活躍した秘訣と、外国人選手が日本で活躍するために必要なことを聞いた。 取材・翻訳=池田晋、写真=BBM 外国人にとって西武は理想的な球団だった
西武に移籍する前は、
中日と
阪神も私に興味を持ってくれていたようだ。交渉は代理人に任せていたけど、自分が直接会ったのは西武の葛谷晨一(通訳)さんだけ。彼がアメリカまで会いに来てくれて、西武入りが決まった。当時はパイレーツでメジャーと3Aを何度も行き来する状態にストレスを感じていたから、日本からのオファーには喜んだよ。
このときチームメートになった
バークレオは素晴らしい人格者で、今も友人さ。現在はインディアンスのコーチをしている。彼にとっては非常に難しい状況だった。当時の外国人枠は2つだけ。私は一度も二軍に戻ることはなかったが、彼は一軍と二軍を行き来していた。
バークレオは前年38本塁打の素晴しいパワーヒッター。日本でスーパースターになれる素質を持っていたが、十分なチャンスを得られなかった。私はライバルとして彼の前に立ちはだかったが、自分のことを必死にやるしかなかった。もう一人の外国人である
郭泰源も外せない存在だったからね。
現在のように外国人枠が4つなら、彼は間違いなく活躍したはずさ。最高のチームメートだった。彼にいろいろ教えてもらったし、大きな恩がある。ライバルのはずなのに、私が日本の野球に馴染めるように助けてくれた。
外国人選手が日本で成功するのに一番大事なのは、どの球団を選ぶか。日本に順応するのに、まず大事なのが組織だ。その点でも西武は素晴らしいチームだった。外国人がチームと日本のスタイルに慣れるのを助けてくれる体制が整っていた。
2番目に重要なのは、その国に早く順応できるかどうか。外国人選手は完全に違う文化、環境にいることを理解しないといけない。80年代に日本へ来たカリブ人は、ベネズエラ、キューバからアメリカへ渡ることで、すでに一度外国を経験している。彼らは異なる文化がどういうものなのかを理解している。この20年間、日本で活躍した選手はヒスパニック系が多いだろ?
カブレラ(元西武ほか)、デストラーデ、
バレンティン(
ヤクルト)。スペイン語を話すわれわれにとって、日本語は英語より発音しやすい点も見逃せない。
3番目に大事なのは、チームメートとコーチ。私は最高のチームメートに恵まれた。ロッカーの両隣は秋山(幸二)と石毛(宏典)さん。彼らは最高の先生で、多くのことを教えてくれた。辻(発彦)さん、伊東(勤)さん、広野(功)コーチもいた。森(祇晶)監督は私をコントロールするのが上手だった。誰もが森さんと良好な関係を築いたわけではないが、自分とはうまくいった。監督と合う、合わないはとても重要だ。
野茂のトルネードが一番厄介だった
89年は83試合で32本塁打とすごい記録を残した。その結果、西武は自分に特別な能力があると気づいたんだと思う。翌年から3年連続ホームランキングとなり、リーグ3連覇も果たした。
日本シリーズは特別な雰囲気だった。あの舞台に立つために西武は戦っていたんだ。86、87、88年に優勝していたから、選手たちの中には、すでに勝者のメンタリティーが備わっていた。
3連覇は本当に難しい。2連覇も難しいが、起こり得るもの。3連覇はスーパーでないとできないものだ。西武の黄金時代は、マイケル・ジョーダンがいたときのシカゴ・ブルズ(2度の3連覇を果たした)のようなものだ。私は2度目の3連覇の時代に来た。毎日がエキサイティングで楽しかったよ。
一番印象深い日本シリーズは
巨人と戦った90年だ。興奮していたし、緊張していたけど、いい緊張感だった。最初の相手が巨人で良かったよ。最初の巨人との戦いが最も難しかったため、その次に対戦した
広島、ヤクルトとの日本シリーズはラクな気持ちで臨めた。
巨人は桑田(真澄)さん、槙原(寛己)、斎藤(雅樹)さん、左腕の宮本(和知)と素晴しい投手がそろっていたが、4人とも攻略した。
クロマティ、原(辰徳)、駒田(徳広)と打線も強力だったね。
その初戦で槙原から放ったのが、一番ドラマチックなホームランだ。カウント3-0からの速球は、まるでスローモーションのようにハッキリとよく見えた。あれほどボールに集中できたのは先にもあとにもない。5万人の大観衆の前で本塁打を放ち、巨人のベンチに向け、ガッツポーズしたんだ。「オレは100パーセント集中しているんだ!」という意味を込めてね。
その翌年は佐々岡(真司)、さらに次の年は岡林(洋一)から1打席目に本塁打。3シリーズ連続で出場するだけでも大変なのに、そこで初めて対戦する投手から最初の打席で本塁打を打てるなんて、普通ではあり得ないよ。
日本で最も苦しめられた投手は
野茂英雄(元近鉄ほか)だ。背中を向けて一度止まる独特のフォームにタイミングを合わせるのが難しかった。広野コーチがクセを見抜いてくれたおかげで、打てるようになった。彼は勇敢なピッチャーで対戦するのはいつも楽しみだった。
西武の投手陣もすごかったね。ベストだと思うのは渡辺(久信)だ。150キロ近い速球を高低両サイドに投げ分けることができ、変化球のキレ味がすごかった。圧倒的な力で相手をねじ伏せることができた。最も信頼できるのは(工藤)公康だ。必ずストライクを投げることができ、冷静でいつもリ
ラックスして投げている。素晴しいカーブのおかげで、あまり速くはない速球も生きた。
郭泰源はクールで一切感情を表に出さない。速球、スライダー、スプリットを打者のヒザ元に正確にコントロールすることができる。フォームを見ただけでは球種の違いが分からなかった。リリーフでは潮崎(哲也)がすごかった。彼とは絶対に対戦したくなかったね。メジャーに戻ったときに潮崎のようなピッチャーに出会ったんだ。93年にマーリンズで対戦したペドロ・マルチネス(当時ドジャース)だ。動きのある速球、チェンジアップがそっくりだったよ。
PROFILE オレステス・デストラーデ●1962年5月8日生まれ。キューバ出身。6歳からアメリカのフロリダ州マイアミで育つ。81年に
ヤンキースとプロ契約を結ぶ。右足のじん帯断裂と骨折という大ケガを乗り越え、87年にメジャーデビューを果たした。88年にパイレーツへトレードで移籍し、89年に西武入団。90年から2年連続打点王、3年連続本塁打王を獲得し、西武のリーグ3連覇、日本シリーズ3連覇に貢献。93年にマーリンズへ移籍。95年に西武復帰を果たすが、不調と私生活の問題でシーズン途中に退団した。引退後は主にテレビやラジオのリポーター、5年前よりレイズ・フォックス・スポーツのリポーターを務めている。