文=綱島理友、写真=BBM 
98年は圧倒的な強さでリーグV、そして日本一まで登りつめたが……
正直言ってここでコメントして、本当によいのか迷いがある。1963年、小学校4年のときに大洋ホエールズ子供会に入会して以来、半世紀以上、このチームと付き合ってきて、わが身に染み込んでいるのが「その気になったら奈落の底」という教訓である。
これまで「今年はいけるぞ!」と、思ったことは何度もある。最初は64年の東京オリンピックの年だ。
桑田武、
森徹、クレス、
近藤和彦などが中軸を打つメガトン打線を擁するホエールズは、この年破竹の勢いで勝ち進んだ。しかしこれにジリジリと追いすがって来たのが
阪神タイガースだった。向こうはバッキー、
村山実の両輪がフル回転。そして9月30日、最後の試合で勝った方が優勝という展開になった。しかしここで、これまでチームを支えてきた
稲川誠投手が痛恨のワイルドピッチ。ホエールズは優勝を取り逃がした。
小学生の私は、プロ野球における勝負のシビアさを教えられたのだった。
そのあとはしばらく終盤の優勝争いはなかったが、春先の珍事はたびたびあった。例えば76年の
間柴富裕投手の開幕6連勝なんていうのも思い出す。このときは間柴投手につられ、チームも浮上。これはいけると思ったものだ。しかし夏場を迎えて、間柴投手は不調に陥り連敗。チームもあっという間に奈落の底に落ちた。
97年、
ヤクルトとの接戦も忘れられない。このときは久々の終盤までもつれる展開で、8月、アメリカに出掛けたため、毎朝、ベイスターズ・ダイヤルに国際電話をかけて結果を確認していた。そして、9月2日に帰国して、満を持して自宅でテレビをつけたら、スワローズの
石井一久投手にノーヒットノーランを食らってジ・エンド。
そんな数々の教訓から98年は、絶対その気にならないように過ごした。「今年はいけそうだね」と人に言われても、「どうかねぇ」とはぐらかす。チームのためには、私はその気になってはいけないのだ。
なので今回も私は決してその気にはなっておりません。前回の本誌「ベイスターズ特集」でも、皆さんがベイスターズ話を書く中で、私はスルーしてアメリカン・ベースボールの話を書いていた。
しかし、今回はコメントをここで書いてしまったわけだが、決してその気にはなっていないことを、くれぐれも強調しておきたいのである……。

近藤和彦、桑田武、森徹。60年代にメガトン打線と呼ばれた大洋ホエールズの強打者たち
筆者プロフィール 綱島理友(つなしま・りとも)●1954年横浜生まれ。63年、小学3年生のときに大洋ホエールズ子供会に入会。出版社勤務ののち雑誌編集を担当しながら、執筆活動を開始。76年、大学生時代に渡米。アメリカ大陸を横断し、行く先々でまだ日本ではあまり知られていなかったMLB、マイナー・リーグを観戦して回って以来、ベースボールが自身の大きなテーマに。小誌にて「ベースボール百科」を連載中。6月には『綱島理友のアメリカン・ベースボール徹底攻略ブック』を上梓(弊社刊)。