世界の頂点まであと一歩、届かなかったがそこに至る過程では素晴らしい結果を残したと言える今年の高校日本代表。しかし、その中にでも当然反省すべき点はある。悲願の世界一奪取へ向けて、今後、取り組むべき点とはどういったところなのだろうか。 文=岡本朋祐 
巧みな人心掌握でチームを盛り上げた西谷監督
「勝てる監督」を念頭に再び西谷監督に白羽の矢
チームが一つになっている――。毎年組まれる急造チームは一戦一戦、絆が深まっていくが、西谷浩一監督の人心掌握術は特に優れる。「皆、良い子ばかり。いつも
ヤンチャな(大阪桐蔭の)生徒を相手にしていますから」と、冗談交じり話すが、選手のハートをつかむのがうまい。試合前のセレモニー。指揮官はコーチ2人よりも一歩前に出て、アナウンスされる選手を出迎えた。こうした細かな配慮からも、侍ジャパンの結束を感じた。しかし、最後の最後で米国の勝利の執念の前に散っている。
地元優勝への本気度は、スタッフ人選の段階から強く感じ取れた。日本高野連は「勝てる監督」を念頭に、2年前の18Uワールドカップ(台湾)で率いた西谷監督へ再び白羽の矢を立てた。12年に大阪桐蔭を史上7校目の春夏連覇へ導くと、昨夏も夏3度目の全国制覇。45歳ながら甲子園通算36勝(7敗)は歴代9位であり、勝率.837。卓越した指導力に加えて、甲子園での実績も申し分のない「勝てる監督」なわけだ。
西谷監督以下、仲井宗基コーチ(八戸学院光星高監督)、島田達二コーチ(高知高監督)のほか、理学療法士2人のうち1人も準優勝だった2年前と同メンバー。選手のコンディション作りにおいて最重要任務となるトレーナーを含めて、気心知れたスタッフで初優勝を目指したのだ。
国の威信を懸けた国際試合の難しさ
WBSC(世界野球ソフトボール連盟)主催のU-18ワールドカップの前身である「AAA世界選手権」は、1981年に第1回大会が開催。かつて、日本は夏の甲子園大会と日程が重なることから参加が難しかった。出場は今回が6度目(82、99年=選抜チーム)で、高校日本代表が派遣されたのは東北高・
ダルビッシュ有(現レンジャーズ)を擁して準優勝を遂げた04年が初。12年は大阪桐蔭高・
藤浪晋太郎(現
阪神)と花巻東高・
大谷翔平(現
日本ハム)の2本柱を編成しながら6位。13年は桐光学園高・
松井裕樹(現
楽天)と
森友哉(現
西武)のバッテリーで米国との決勝に挑むも銀メダル。とはいえ、準優勝への躍進は“引き継ぎ”がキーワードとなった。
12年に率いた小倉全由監督(日大三高)からリポートの提出を求めた。日本高野連はA4用紙3枚にまとめ、13年の西谷ジャパンに情報共有。今大会は日本開催で食事、球場等でストレスを感じることはないが、ボール、ストライクゾーンら“世界基準”が徹底された。侍ジャパン20人の選考責任者は日下篤委員長(日本高野連技術振興委員会)。昨年の第10回BFAアジア選手権(タイ)まで務めた相澤孝行氏から引き継いだ。甲子園期間中に話題上がっていたのが早実の1年生・
清宮幸太郎の動向だった・・・
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