何度となく優勝を争い、シ烈な戦いを繰り広げてきた両チーム。ときに一線を越え、荒々しい乱闘騒ぎとなることもあった。 
98年にはガルベス[右]が審判に向かってボールを投げつける事件も
草創期からのライバルながら、意外にもグラウンド外では事件と呼べるほど大きなトラブルはそれほど多くない。ただ、いざ試合となれば、幾度となく優勝争いを繰り広げているだけに、激しい乱闘事件も多く、特に甲子園では
阪神ファンの乱入も日常茶飯事だった。
“第一次難波事件”と言われるのが、1953年7月23日、大阪球場(当時甲子園にナイター設備がなく、大阪で行われた。通称・難波球場)で、
巨人のセンター、
与那嶺要の捕球を巡って紛糾した一件だ。エキサイトした観客がグラウンドに乱入し、警官隊が導入される大騒ぎとなった。
63年8月11日には後楽園球場で、のち“涙の退場”と呼ばれ、阪神ファンに語り継がれる事件があった。投手の
村山実が審判のボールの判定に憤り、猛抗議。退場の宣告をされると、号泣しながら「ワシは命をかけて投げているんや。あんたも命がけで
ジャッジしてくれ」と叫び、奮起した阪神は延長10回、3対2で勝利を飾った。
68年9月18日の甲子園球場もすさまじかった。・・・
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