【リリーフ編】“左キラー”から最強クローザー岩瀬へ
続いて左のリリーフのスペシャリストに話を移す。50年代、“左キラー”、いわゆるワンポイントの先駆けと言われたのは、
巨人の
中尾碩志だが、先発をこなしながらの“奇襲起用”だった。60年代に入って巨人の
宮田征典ら抑えの専門の投手が台頭したが、すべて右投手。おそらく左打者に強いという印象以上に“右打者に弱い”という先入観が、球界に根強かったからではないだろうか。

中尾碩志(巨人)なかお・ひろし●516試合登板、209勝127敗、防御率2.48
ただ、その中でもポツポツとリリーフ専門の個性派が登場する。先発もしているが、南海の左腕のサイドハンド、
村上雅則は64年の野球留学中にスカウトされ、日本人メジャー1号に。68年には“二刀流”で話題となった・・・
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