大多数を占める右投手に対し、少数派とも言えるサウスポーには異彩を放つ、天才タイプが多かった。さまざまな役割をこなしつつ、球史を彩る活躍を残してきたレジェンドたちを紹介しよう。 【先発編】“400勝投手”と“草魂”が最多勝、最多先発勝利に
プロ野球誕生からしばらくは名左腕と呼べる本格派はいなかった。イーグルスに本職は一塁手ながら投手もしていた“タコ足”
中河美芳がいたが、ほぼスローボールとスローカーブ。37年秋に13勝を挙げているものの(全49試合)、ひょうひょうとしたマウンドさばきと左であることを最大の利点とした個性派だった。
本格派サウスポーの元祖は、39年入団の
中尾輝三(碩志)だ。ただ、“左腕はノーコン”の定説はこの男から始まったとも言われ、39、41年と10四球、8四球でのノーヒットノーラン2回も有名だ。
2リーグスタート時の50年には、アマ球界で“火の球投手”と呼ばれた左腕・
荒巻淳が毎日に入り、26勝で最多勝、新人王に。そして同年途中には国鉄に17歳の
金田正一が入団。日本のサウスポー、いや、投手の歴史を大きく変える。翌51年から14年連続20勝以上。65年
巨人に移籍し、通算400勝を花道に引退した。左腕の冠は不要、まぎれもない日本球界史上最強のピッチャーだ。この前後には51年に19連勝の巨人・
松田清、48年入団で4度19勝の南海・
柚木進らもおり、徐々に左腕が増えていた。

金田正一(国鉄ほか)かねだ・まさいち●944試合登板、400勝298敗、防御率2.34
54年に阪急入団で、いきなり20勝の・・・
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