1986年に広島を下して3年ぶりに日本一に輝いた西武は翌87年、巨人との頂上決戦に臨んだ。83年、息詰まる熱戦の連続で巨人を倒していた西武だが、87年の一騎打ちでも野球の質の高さを見せつけた。その白眉は第6戦の“伝説の好走塁”。今なお語り継がれるプレーを生んだ三塁コーチ、伊原春樹氏がその裏側を語る。 取材・構成=小林光男、写真=BBM 2回裏に二走の清原が中飛でホームへ生還
1987年のシーズン、セ・リーグは巨人が独走していたので、間違いなく「巨人が優勝するだろう」と思っていました。当時は地上波で常に巨人戦が放映されていましたから。特に土日はパ・リーグがデーゲームで、セがナイター。だから、遠征先でも、自宅でも試合後にテレビ中継を見て、巨人の戦いぶりをよくチェックしていました。
投手のクセ、打者の特徴など、さまざまなポイントに目を凝らしているうち、気になる点が出てきました。それが、センターを守っている
クロマティの守備。まず、ランナーがいない場面でセンターフライをキャッチして、内野へ返球する際、必ずホワーンと山なりのボールを返していました。では、ランナーがいる場面ではどうか?そのときも自分では素早い返球を心掛けているつもりなのでしょうが、それでも私から言わせればまったく話にならないほど緩慢な返球をしていました。それを確認したとき、「これは使えるぞ」と思いましたね。
この年、メジャー・リーグで2000安打以上をマークしたバート・キャンパネリスが当初、三塁コーチを務めていましたが、うまく機能せず、4月末から私が三塁コーチへ。当然、常日ごろからミーティングで守備のスキを突くこと、先の塁を狙うことを口酸っぱく選手たちに説いていました。こういうことはしつこいほど言って、徹底させるしかありません。そうすれば選手たちも塁に出れば“少しでもいいスタートを切ろう”と自然と考えるようになりますし、当時の西武はそれが完全に習慣づけられていたと思います。
日本シリーズが始まる前、3、4日くらい決戦に向けて合宿しましたが、そこでクロマティの緩慢な返球に関してはミーティングで選手たちに説明しました。そのときに強調したのは・・・
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