2000年代を彩った外国人選手の中では最強助っ人と呼んでもおかしくはないだろう。現役時代は右のスラッガーとして数々の栄光をつかんできた。今、ラミレスの夢は監督として日本一になることだ。挑戦の途中にいるDeNAの指揮官に、自身の経験を振り返り、日本で外国人選手が活躍するために大切なことを語ってもらった。 取材・構成=滝川和臣、通訳=丸山剛史(横浜DeNAベイスターズ)、写真=大賀章好、BBM 2000安打達成。日本で成功した理由
NPB通算13シーズンで打率.301、1272打点、380本塁打、2013年には外国人選手では史上初となる2000安打をマークした。その陽気なキャラクターと同時に、研究熱心で知られる「ラミちゃん」も、ほかの外国人選手と同じようにさまざまなカベにぶつかった。それをどう乗り越え、成功につなげたのか。現役時代のメンタリティ、アプローチを最初に聞いた。 ──2001年、選手として日本に来ることになった最大の理由は何だったのでしょうか。
ラミレス 大きな理由はお金です。当時、私はMLBのインディアンス、パイレーツでプレーしてはいましたが、まだ若く成功していませんでした。日本からオファーされた金額がアメリカでのものよりかなり良かったので来日を決意しました。
──日本の球団について、どれくらい知識を持っていましたか?
ラミレス 私が初めてプレーしたMLBの球団がインディアンスでしたが、当時の監督が
チャーリー・マニエル(元
ヤクルトほか)だった。彼は日本で成功した選手でもあったので、彼からいくつかの球団については様子を聞いていました。ほかにも日本でプレー経験のある選手を知っていたので情報をもらっていましたし、私自身も日本について興味を持っていた。ところが、話を聞いた選手はあまり日本で活躍したとはいえず、ほとんどが1年で契約解除とか、すぐにアメリカに帰ってきてしまった選手ばかり。彼らが語る日本のイメージはあまりいいものではありませんでしたが、マニエルの話は興味をそそられるものでした。
──マニエル監督からのアドバイスはどんな内容だったのでしょうか。
ラミレス チャーリーが語ったのは「野球=日本文化」だということ。日本に行くMLBプレーヤーは、誰もが能力的には日本で活躍できるポテンシャルを持っていた。しかし、成功できるか、否かのカギは日本の文化を吸収できるかどうかにかかっている、と教えられました。当時、私は野球と日本の文化がどうリンクするのか、まったく理解できなかった。でも今は、それがよく理解できます。

「アイーン」「ゲッツ」など親しみやすいキャラクターで人気者に。ヤクルトでは来日1年目にリーグ優勝&日本一を経験
──日本で一番苦しんだことは?
ラミレス やはり言葉のカベです。来日したばかりのころ、選手たちはいろいろ話しかけてくれたけれど何を言っているのか分からないし、こっちの言いたいことも伝わらない。それがプレッシャーになっていた。私は『ミスター・ベースボール』という映画を10回以上観て、日本にやって来ました。あの作品の影響で日本の通訳は(どうせ、俺にウソをつくんだろう)と思い込んでいたのです。劇中では外国人選手が1分間、しゃべり続けているのに通訳は一言、二言で片付けていた(苦笑)。なんでこんなことが起こるのか? と思ったし、コミュニケーションの問題はいつもありましたね。
──どう克服したのですか。
ラミレス まず、日本の選手と親密になることから始めました。選手と仲良くなることで、日本の野球の理解も進んだように思います。「なぜ1回から犠牲バントをするのか?」など、日本で当たり前のように行われていることが・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン