ここでは歴代の優勝決定試合がいつだったのかをシーズンの戦い模様を簡単に振り返りつつ掲載する。今回は1950年からスタートのセ・リーグ編だ。 ※[]内の数字はダブルヘッダーの1試合目、2試合目。球団名右の☆は日本一 1950年 松竹☆ 11月10日●対西日本9-0(後楽園[1])
大陽を映画会社松竹が買い取って誕生した松竹ロビンスが、独走でセの初代王者。投手陣では39勝の
真田重男、打線は51本塁打の
小鶴誠が軸だった。
1951年 巨人☆ 日米野球開催のためシーズン途中で公式戦打ち切り(9月23日優勝決定)
1952年 巨人☆ 10月3日●対国鉄15-2(後楽園)
途中入団の日系人・
与那嶺要が俊足巧打で旋風を起こした。
阪神に追い上げられながらのV。投手で33勝を挙げた
別所毅彦がMVPに輝く。
1953年 巨人☆ 9月27日●対阪神4-2(後楽園[2])
米国サンタマリア・キャンプでチームプレーを学んだ巨人。投打ともに万全で序盤戦から大独走。チーム史上最強のシーズンとも言われる。
1954年 中日☆ 10月19日●(巨人4-5阪神)
巨人が阪神に敗れ、優勝決定。悲願達成は東京に向かう移動の電車の中だった。フォークボールの神様・
杉下茂がVの原動力となった。
1955年 巨人☆ 10月7日●対国鉄3-2(横浜平和[2])
ダブルヘッダー第1試合に敗れたが、第2試合途中にマジック対象の中日が敗れ、優勝決定。試合は9回裏、
岩本堯のサヨナラ二塁打で勝利。
1956年 巨人 9月23日●対
広島3-2(広島総合[2])
開幕から6試合目の中日戦で
樋笠一夫の釣り銭なしの代打逆転サヨナラ満塁弾があった年。序盤不振も8月半ば以降突っ走った。MVPは別所。
1957年 巨人 10月21日●対大洋2-0(後楽園[2])
巨人の主力選手の高齢化もあって大混戦に。窮地を救ったのが新人の
藤田元司。先発、リリーフでフル回転し、60試合に投げ、17勝を挙げた。
1958年 巨人 10月2日(広島3-1阪神)
ゴールデンルーキー、
長嶋茂雄登場で沸いた。あとホームラン1本でトリプル3もすごい。優勝決定は2位・阪神が広島に敗れて決まった。
1959年 巨人 10月3日●対広島9-2(広島総合)
天覧試合の年は巨人が独走V。主役は、そこでサヨナラ弾を打った長嶋だった。初の首位打者にも輝く。藤田が27勝で最多勝と2年連続MVP。
1960年 大洋☆ 10月2日●対阪神1-6(甲子園)
敗戦ゲームも試合中にマジック対象の巨人が敗れ、優勝決定。西鉄から名将・
三原脩監督を招き、1年目の優勝。三原マジックは流行語に。
1961年 巨人☆ 10月9日(広島4-3中日)
ベロビーチ・キャンプで学んだドジャース戦法で
川上哲治監督就任1年目のV。巨人は試合はなかったが、2位の中日が広島に敗れ、優勝が決まった。
1962年 阪神 10月3日●対広島6-0(甲子園)
戦前の巨人の名将・藤本定義の下、先発ローテを確立させ、阪神が2リーグ制後では初の優勝を飾る。
村山実、
小山正明の二本柱がVにけん引した。
1963年 巨人☆ 10月15日●対中日7-0(後楽園[2])
王貞治、長嶋茂雄の「ON」という言葉が定着した年だった。ホームラン王が王、首位打者と打点王を長嶋。2人のバットがVに引っ張った。
1964年 阪神 9月30日●対中日12─3(甲子園[1])
前年オフ、「世紀の大トレード」で小山を出し・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン