「ドラフト超目玉」と言われる逸材は「大学進学」も選択肢にあったが「プロ志望」を決断した。ここでは、早実からプロへ進んだ先輩に、清宮幸太郎の素顔と可能性を聞いた。 
早実から直接のドラフト指名を受ければ、荒木氏の1学年後輩である1983年(大洋・板倉賢司、巨人・上福元勤)以来だ/写真=菅原淳
「大学進学したい!」。私は35年前、当時の早実武蔵関グラウンドで、担当の新聞記者にこう話した記憶があります。「プロは100%ない」と明言しながら、10球団から調査書が届いていたと、後から聞きました。清宮君は9月22日の進路表明会見で「早実野球部での3年間で、次の大きな夢へ挑戦すべきだと確信に至りました」と、プロ志望の理由を語っていましたが、私には“覚悟”がなかった。
早実には早稲田大学へ推薦入学できる道があり、プロにはなかなか踏み切れない。だから、34年も遠ざかっていたのだと思います。1年夏から5季連続甲子園? 私は純粋に、力がない。プロでやっていく自信はありませんでした。18歳の高校生としては「クビになって、終わったらどうしよう?」が、正直な心境。大学生活を楽しみながら、野球もしたいというのが本音でした。ところが、ドラフトでは巨人と競合した末、
ヤクルトの1位。食堂での記者会見で、今の気持ちを文字にしてほしいとの要望を受け・・・
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