1965年秋からスタートし、今回が53回目となったドラフト会議。毎年、幾多のドラマが繰り広げられ、多くの笑顔と、そして涙があった。ここでは過去のドラフト会議をドラフト1位選手を中心としながら球団別に振り返ってみよう。 ※ドラフトの年は会議の開催年。文中も 
小宮山の存在もロッテを変えた[1989年]
東京時代の第1回は、互いに腹の探り合いで混乱した。1位で当然と思われた甲子園のスター、
木樽正明(銚子商高)が指名もれで、2位で獲得する幸運もあった。67年は1位で剛腕・
村田兆治、68年は1位でミスターロッテ、
有藤通世を獲得。これで投打の屋台骨ができた。
70年にはドラフト1位の樋江井忠臣が入団を拒否したが、ロッテは長く12球団一の不人気球団と言われ、とにかく拒否が多かった球団である。老朽化し、常に閑古鳥が鳴いていた川崎球場(最初は東京スタジアム、川崎の前は仙台が準本拠地で移動ばかり)、
金田正一監督時代の猛練習もマイナスイメージとなった。
1位で言えば、76年には現
中日監督の
森繁和、79年が
竹本由紀夫らが拒否組。悲惨だったのが下で紹介する
小池秀郎だが、入団はしたものの、態度がひどかったのが、80年の・・・
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