1965年秋からスタートし、今回が53回目となったドラフト会議。毎年、幾多のドラマが繰り広げられ、多くの笑顔と、そして涙があった。ここでは過去のドラフト会議をドラフト1位選手を中心としながら球団別に振り返ってみよう。 ※ドラフトの年は会議の開催年。文中も 
前監督の野村もドラフト1位だ[1988年]
かつての木庭教氏、
宮川孝雄氏、さらに現・
苑田聡彦スカウト統括部長と、いわゆる“名スカウト”と呼ばれる人がどこよりも多い。
最大の理由は、十分な補強資金がなかったことだ。いかにほかのチームが目をつけぬ、隠れた人材を見出し、説得するか。全国を回り、足と目でチームの基盤を作った。
振り返れば、ドラフト1年目の65年、
広島は12球団最大18人を指名したが、うち8人が入団していない。これは当時のドラフトがそれだけデタラメで、他球団もそうだが、下位指名選手には事前のあいさつもまったくしていなかった中でのことだ。
大きなきっかけは、68年、
山本浩司(のち浩二)の加入だろう。同年は2位で捕手の
水沼四郎(中大)を獲得。ドラフト前入団の
衣笠祥雄ら、これでほぼ75年の野手メンバーはそろい、
根本陸夫監督が徹底的に鍛え上げていく・・・
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