ブレークパターンは1つではない。もともと力はあった選手がチャンスを得た、恩師との出会いや新技術、ポジションへの挑戦で眠っていた力が開花、圧倒的な練習の積み重ねで力をつけ、壁を乗り越えた……。その代表例を挙げるにしても、歴代となると、あまりに数が多い。今回は鮮烈デビューの新人を除き、かつ1990年代以降を重視しつつ球団別に見ていこう。
ただ、老舗
巨人のブレーク例から、この男の名前は外せない。世界最多868本塁打の
王貞治だ。「一本足打法」習得により62年途中、中距離打者から、ホームランバッターに変わった。ほかに日米野球をきっかけに開花した選手も多く、
中畑清(78年オフ)、
吉村禎章(82年オフ)らが挙げられる。
阪神では、実質テスト入団から猛練習ではい上がったミスタータイガース、
掛布雅之が象徴(76年)。92年の優勝争いの中で現れたカメシンこと
亀山努、
新庄剛志も鮮烈だった。
中日は快速球右腕、スピードガンの申し子と言われた79年の
小松辰雄、“クビ要員”だったのが、米野球留学中、スクリューボールをマスターしたことにより、開花。緊急帰国した88年のVに貢献した
山本昌広(山本昌)もいる。
育成の
広島では猛練習ではい上がった選手が数多い。特に79年、スイッチ転向で一気にブレークした
高橋慶彦が代表的だったが、16年、“神ってる”
鈴木誠也のインパクトは勝るとも劣らずだ。
ヤクルトは1年目から頭角は現していたが、2年目の91年に首位打者となった
古田敦也は鮮烈。黄金時代の司令塔となった。
パに移り、
ソフトバンクは
川崎宗則。2003年に好成績を挙げ、阪神との日本シリーズでも活躍して全国区の人気を得た。
西武は
松井稼頭央だろう。投手から野手への転向組でスイッチヒッターに変え開花。さらに96年オフの日米野球に加え、当時のテレビ番組で、その身体能力の高さを披露し、人気者となった。
オリックスはイチローだ。ファームで実績を挙げていたのが、94年
仰木彬監督により一軍に固定され、日本球界初の200安打台に到達した。
日本ハムは
小笠原道大。捕手からコンバート組で99年「恐怖の二番打者」のインパクトは大だった。
ロッテは05年の
今江敏晃。ミスターロッテの8番をもらった年でもある。
楽天は中日で鳴かず飛ばずだった
土谷鉄平が「鉄平」と登録名を変え、3割の06年の印象が強い。 (井口)