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2018年ネクストブレーク特集

ネクストブレーク特集コラム いつも突然、やってくる!

 

1994年彗星のように現れたイチロー


 ブレークパターンは1つではない。もともと力はあった選手がチャンスを得た、恩師との出会いや新技術、ポジションへの挑戦で眠っていた力が開花、圧倒的な練習の積み重ねで力をつけ、壁を乗り越えた……。その代表例を挙げるにしても、歴代となると、あまりに数が多い。今回は鮮烈デビューの新人を除き、かつ1990年代以降を重視しつつ球団別に見ていこう。

 ただ、老舗巨人のブレーク例から、この男の名前は外せない。世界最多868本塁打の王貞治だ。「一本足打法」習得により62年途中、中距離打者から、ホームランバッターに変わった。ほかに日米野球をきっかけに開花した選手も多く、中畑清(78年オフ)、吉村禎章(82年オフ)らが挙げられる。阪神では、実質テスト入団から猛練習ではい上がったミスタータイガース、掛布雅之が象徴(76年)。92年の優勝争いの中で現れたカメシンこと亀山努新庄剛志も鮮烈だった。中日は快速球右腕、スピードガンの申し子と言われた79年の小松辰雄、“クビ要員”だったのが、米野球留学中、スクリューボールをマスターしたことにより、開花。緊急帰国した88年のVに貢献した山本昌広(山本昌)もいる。

 育成の広島では猛練習ではい上がった選手が数多い。特に79年、スイッチ転向で一気にブレークした高橋慶彦が代表的だったが、16年、“神ってる”鈴木誠也のインパクトは勝るとも劣らずだ。ヤクルトは1年目から頭角は現していたが、2年目の91年に首位打者となった古田敦也は鮮烈。黄金時代の司令塔となった。

 パに移り、ソフトバンク川崎宗則。2003年に好成績を挙げ、阪神との日本シリーズでも活躍して全国区の人気を得た。西武松井稼頭央だろう。投手から野手への転向組でスイッチヒッターに変え開花。さらに96年オフの日米野球に加え、当時のテレビ番組で、その身体能力の高さを披露し、人気者となった。

 オリックスはイチローだ。ファームで実績を挙げていたのが、94年仰木彬監督により一軍に固定され、日本球界初の200安打台に到達した。日本ハム小笠原道大。捕手からコンバート組で99年「恐怖の二番打者」のインパクトは大だった。ロッテは05年の今江敏晃。ミスターロッテの8番をもらった年でもある。楽天は中日で鳴かず飛ばずだった土谷鉄平が「鉄平」と登録名を変え、3割の06年の印象が強い。 (井口)
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