初代指揮官を務めた根本陸夫監督から現在の辻発彦監督まで、球団40年の歴史の中で9人の監督がチームを率いてきた。それぞれの方法論で手腕をふるってきたが、間近でつぶさに取材をしてきた元文化放送ライオンズナイター・コメンテーターの中川充四郎氏の目にはどう映ってきたか。代々の監督について語ってもらった。 取材・文=中島大輔 写真=BBM 
広岡達朗/私生活、食事まで厳しく指導する「管理野球」を貫いた
広岡監督のやり方は現在なら失敗
今から40年前の1978年オフ、西鉄が本拠地を置いていた福岡から所沢に移ってきた
西武は、新しい球団としてチームを作っていきました。
その中心になったのが根本陸夫さん。79年から3シーズン監督を務めながら、フロントのような仕事をしていました。監督を退いた翌年の82年に西武は初優勝しますが、根本戦略が当たったと思います。
当時よく聞いたのは、「根本さんは・・・
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