初めて観戦に行ったスタジアムの記憶というのは鮮明に残っているものだ。スタンドの歓声、カクテル光線、売店の匂い、独特な空気感が非日常的な空間を作り出し、五感を揺さぶった。そうした中には、いまではもう訪れることができない、消えていった舞台もある。読者の心に残っている思い出のスタジアムをランキングでお届けする。 その他の球場
西宮球場・後楽園球場・川崎球場、広島市民球場ほか ※アンケートは「週刊ベースボールONLINE」にて集計 写真=BBM 
大阪一の繁華街も近いという好立地だった
アンケート第3位 259票
「自前の球場を」と、南海本社が中心となり、大阪ミナミのナンバ駅近くの土地を取得した。そして1950年1月に工事を開始すると、同年9月12日に完成するというまさに“突貫工事”だった。判定を巡る騒動がたびたび起こり、観客がグラウンドになだれ込むこともしばしば。54年には「大阪球場事件」という
阪神の放棄試合もあった(
中日戦)。79年には近鉄が球団初のリーグ優勝を遂げ、
広島との日本シリーズで使用。第7戦の「江夏の21球」はあまりに有名なシーンとなった。フランチャイズ球場として役割を終えたのは1988年。南海・
杉浦忠監督の「(福岡へ)行って参ります」の言葉は、大阪のファンの涙を誘った。この球場では90年に8試合の公式戦が行われた後、静かに幕を閉じた。
[球場データ] 大阪府大阪市難波中
開場:1950年
フランチャイズ球団:南海、近鉄、大洋松竹
フランチャイズ終了:1988年
広さ:両翼91.5m、中堅115.8m
収容:3万1379人
読者の声
「子どものころによく行きました。すり鉢状で急な階段が印象的でした。あぶさんの看板も思い出に残っています」
「ナイターのときに夜空を見上げてみると、大阪で一番の繁華街にいるのを忘れるような気がしました」
「急こう配のスタンドで選手との距離が近かった」
「南海ファンの少年にとってはまさに夢の空間でした」
「杉浦監督の『行ってきます』、門田選手の涙、今でも忘れない」
「すり鉢球場、笑かすヤジ、パ・リーグ初の本格的外野応援団。弱いけれど愛してやまなかったグリーン軍団の本拠地です」
「
加藤秀司の2000安打でグラウンドに入ってしまった」
「女の子なのに野球が大好きだったので、父が南海ホークス子どもの会に入れてくれました。行くたびワクワクしたのを今でも覚えています」
「大阪のど真ん中にあって、スタンドにややこしい客がいっぱいおった」

1983年、同じ関西圏のライバルである阪急の福本豊が1000盗塁を決めた