甲子園20勝の桑田真澄、13本塁打の清原和博のKKを擁し、1983、85年と2度、夏の全国制覇を成し遂げたPL学園高を「史上最強チーム」に挙げる球界関係者、高校野球ファンは多い。KK3年時の1年生であり、KKが成し遂げられなかった春夏連覇を達成した87年のチームから主将の立浪和義氏、エースの野村弘樹氏が登場し、当時の思い出を語る。 取材・構成=井口英規、滝川和臣 写真=榎本郁也、BBM 
3年夏の全国制覇で春夏連覇達成。右が野村氏、左が立浪氏
PLに入った理由
野村 おお、2人とも髪の毛、長くなっとるな、いっちょ前に色気づき始めたときですね(笑。上写真を見て)。
――資料になりそうな雑誌や写真を持ってきたんで、当時を思い出しながらお願いします。
立浪 『強豪校シリーズPL学園』か。こんな本も出ていたんですね。
野村 なに言っとんねん。さっき見たら、お前、インタビュー受けとったよ(笑)。
立浪 すんません、忘れてました(笑)。(今度は、夏の甲子園開会式の入場行進の写真を見て)自分が先頭ですが、後ろの列の3人は、みんな185センチ以上です。もう30年前だから、相手には強く見えたでしょうね。
――まず、おふたりはなぜPLに入ったんですか。
立浪 PLは当時、桑田(桑田真澄)さん(のち
巨人ほか)、清原(清原和博)さん(のち
西武ほか)がいて、強かったし、人気もあった。自分は、大商大堺高に決まっていたんですが、声をかけてもらい、悩みましたがPLにさせてもらいました。母親と2人で少年野球の監督さんに謝りにいった記憶があります。桑田さん、清原さんを筆頭とするあの圧倒的な強さ。それに魅かれたというのが一番ですね。
野村 僕は
広島出身ですが、テレビで逆転のPLと言われた時代から見ていますし、中2で桑田さん、清原さんを見て、ユニフォームがかっこいいなと思ったのが最初でしたね。「PL GAKUEN」ってバンと胸に書いてあって。
――入部して間近に見たKK2人の印象は。
立浪 自分らは2個下でしたが、中学生、高校生だと1年の違いがものすごく大きいじゃないですか。1年生で入ったときの3年で、一緒に練習もしましたが、清原さんで言えば、まず・・・
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