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激動の平成ドラフト史 時代の証言者

オリックスOB・佐藤和弘「ドラフトはプロへの片道切符。往復切符じゃなかった」/時代の証言者

 

史上屈指の豊作年とも言われる平成初、1989年秋のドラフト会議で1位指名された選手の中で、唯一、会議時“行方不明”だった男でもある。パンチの登録名でも知られた異色選手があの日の思い出を語る。
取材・構成=井口英規 写真=BBM

愛称のパンチはパンチパーマから


夢は川崎水道局?


 愛称は“パンチ”。明るいキャラで入団時から取材が殺到し、マラソン選手ロサ・モタが登場する軽妙なたとえ話でも人気があった。わずか5年の現役生活ではあったが、球史に残る個性派ドライチ選手だった。

 前の年(88年)に都市対抗の首位打者になったんですが、このときも6球団から声をかけてもらっています。もう時効でしょうけど、食事をご馳走になったりしました。

 ただ、当日は指名が1つもなかった。僕は別に1位や2位じゃなくても行くつもりだったんですけどね。その後、ある球団が「ドラフト外で入ってくれませんか。契約金も指名選手同様に出します」と言ってきたんですが、熊谷組から「おかしいでしょ。ちゃんと指名くれたら、うちの三番バッターを出そうと思ったけど、ドラフト外はエチケット違反じゃないですか」と。僕も行きたい気持ちは半分くらいありましたが、「俺は軽く見られたんだな。これから頑張って、ちゃんと指名される選手にならなきゃな」と思いました。

 ただ、どうしてもプロに入りたいと思っていたわけじゃありません。もともと僕はプロ野球に・・・

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