平成6年(1994年)オフ、広島カープから初のFA移籍だった。巨人キラーと呼ばれた左腕は、なぜライバルチームを選んだのか。 
FA入団会見。左は長嶋監督、奥はヤクルトから同じくFA権を行使し入団した広沢克己
悩みに悩んだ
俺がFAをしたのは、1994年のシーズンオフだった。なかなか勝ち星が2ケタにいかず、自分の力が落ちてきたのは分かっていた。蓄積疲労だね。どこか故障したとかいうわけではない。投げられるけど、ギアを上げていけないんだ。投げることはできても抑えることができないというかね。
94年は前半まったくダメで、スポーツ新聞ではトレード話が出るし、起用法もなんだか「川口、ご苦労様」みたいになっていた。ピッチャーって繊細なんだ。おだててくれたらいくらでも投げるけど、そんな雰囲気になると、自分は、もうここにいちゃいけないのかな、若い選手に譲らなきゃいけないのかと思うようになっていた。
そこに東京に住んでいた嫁さんの・・・
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