吉田輝星に続いては、その吉田を技術指導した正村公弘氏が指揮を執る八戸学院大の愛弟子で、巨人1位の高橋優貴を紹介しよう。茨城県出身ながら東京の東海大菅生高を経て、青森で4年間の武者修行。大学球界NO.1左腕となって再び東京に舞い戻った左腕だ。 取材・構成=坂本匠 写真=井沢雄一郎、BBM 
取材前日は八戸では珍しく大雪。厳しい環境の中でも走り込みを強化し、新人合同自主トレ、春季キャンプを目指す
ジャイアンツとの“縁”
青森県八戸市にある八戸学院大の野球部寮は、坂本勇人が高校時代を過ごした光星学院高(現八戸学院光星高)の野球部寮に隣接している。取材の前日にはこの地方では珍しく大雪が降り、すでにグラウンドは使用不能となっていたが、高橋優貴はドラフト指名後も朝と晩、高校と共用という室内練習場で黙々と走り込んでいた。こんな厳しい環境でも近年、八戸学院大が属する北東北大学連盟は昨季のパ・リーグ最多安打・秋山翔吾(八戸大、現八戸学院大→西武)、本塁打王・山川穂高(富士大→西武)、最多勝の多和田真三郎(富士大→西武)など優秀な人材を輩出。リーグの奪三振記録を塗り替えた高橋にも大きな期待が寄せられている。 ──1月9日から新人合同自主トレがスタートし、プロ野球選手としての生活が始まりますが、12月初旬には教育実習で教壇に立っていたそうですね。
高橋 約2週間、八戸市内の高校に行っていました。
──高橋先生ですね。専門は?
高橋 情報です。もともと学校の先生になることは夢の1つでもあったんです。野球はずっと続けようとは思っていたのですが、プロに進んでも、社会人で続けていたとしても、現役ではプレーできなくなるときがいつか来るので、その先のキャリアのことも考えて、1年生のころから少しずつ勉強をしていました。教えることにも興味があって、教員免許を取ろうと考えたのは、東海大菅生高の
若林弘泰監督(※元
中日投手で、引退後、教員免許を取得し、現在は東海大菅生高・社会科教諭)の影響も大きくて、ゆくゆくは高校の監督になりたいなと思っていました。もちろん、いまはプロの世界でしっかり活躍することが先ですけど。
──ドラフト指名後はかなりタイトなスケジュールだったのではないですか。
高橋 そのときはまだ公式戦が残っていて、残念ながら神宮大会には勝ち進めなかったんですけど、引退後は教育実習、車の免許取得、大学とジャイアンツの行事、朝晩のトレーニングで休む間がなかったです(苦笑)。ただ、1月9日からの新人合同自主トレに向けて、練習はしっかりしてきたつもりです。
──このオフのトレーニングでは、どのようなことに重点を置いていたのでしょうか。大学の周辺は一面の雪景色で、なかなか厳しい環境のようですが。
高橋 寒いのでボールを使った技術的な練習は難しいのですが・・・
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