春の敗戦が糧となった。2001年夏の甲子園では大会屈指の強力打線が破壊力を存分に発揮。エース右腕はかつてない疲労に襲われながらも、自身の投球を貫き、日本一の胴上げ投手となった。 取材・構成=富田庸 写真=大泉謙也、BBM 21世紀最初の夏の甲子園を制した日大三。その中心には近藤[左手前から2人目]がいた
春の敗戦をきっかけに
高校野球で目指すところと言えば、やっぱり甲子園。それが3年春にかない、センバツで球場に入った瞬間のテンションの高ぶりというのは、ものすごく感じました。あこがれていた甲子園のマウンドはとても投げやすく、良い意味で自分の空間をつくれたなと思っています。
この大会では結果として3回戦で東福岡高(福岡)に敗れたわけですが、力負けではなく、自分たちのミスから失点を重ねるという、負けるときにありがちなパターンだったんです。原因がありながら、対応できなかった。振り返れば反省はできますが、試合中は「負けちゃうな」、そして「負けちゃったな」という感じで。
でも、試合後のミーティングで小倉全由監督が「お前らなら、夏の甲子園に出て・・・
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