ドラフト外入団の反骨心こそがすべての源。チーム内にはエースの座を争うライバルがいたが、その座を譲るわけにはいかない。開幕投手を務めたのは計5度。選ばれた喜びと使命感を胸に、シーズン最初のマウンドへ向かった。 取材・構成=富田庸、写真=BBM 
初めて開幕のマウンドに立ったのは1981年。病床の妻へ最高の知らせを届けた
負けられない理由
前年の80年には西本のライバルだった江川卓が務めた開幕投手。その年、14勝を挙げていた西本は、16勝の江川に代わって抜てきされることになる。だが、家族が大変な事故に巻き込まれた直後。心は揺れていたが、決意を胸に開幕戦を迎える。 私がプロに入ってから肌で感じたのは、シーズンは、開幕投手を中心に先発ローテーションが回るということです。私はドラフト外で
巨人に入りましたから、当時は手の届かないほど高い位置に存在していたもの。そんな私が初めて開幕投手を任されることになったのが81年、長嶋(
長嶋茂雄)監督から藤田(
藤田元司)監督へバトンタッチした年でした。
春季キャンプでアメリカ・フロリダのドジャータウンに行きました。初の海外キャンプでしたが調子も悪くなく、また、結婚1年目でしたので気持ちも盛り上がっていました。でも、チームが帰国する1日前にアクシデントがあり(自宅がガス爆発を起こして妻が重症)、急きょ私だけ帰国することになったんです。妻は入院し、私は知人宅で過ごすことになり、正直なところ野球をしている場合ではありませんでした。
そんな状況でも開幕は近づいてくるわけです。開幕投手を告げられたのも正直いつだったかもよく覚えていません。それでも、藤田監督から「ニシ、開幕投手でいくから」と言われたときは・・・
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