年齢では金石氏が1学年上で入団年も違うが、PL学園高出身、入団1年目にV、そして広島在籍13年の後に他球団へ移籍と、2人には共通点が少なくない。在籍時の思い出から今季のチーム分析まで、カープ愛を交えて存分に語っていただいた。 取材・構成=牧野正 写真=高塩隆 撮影協力=寿司「かねいし」 常勝の赤ヘル軍団
2人の最初の出会いはPL学園高のセレクションだった。中学3年生だった小早川の打撃投手を金石が務めた。小早川が「初めて硬式球を打った投手」が金石だった。それから7年後、2人はふたたび広島でチームメートとなった。 金石 タケ(小早川)は何年に広島に入った?
小早川 僕は83年のドラフトで84年がプロ1年目です。金石さんは?
金石 78年のドラフト外だから79年が1年目。そこから13年かな。
小早川 僕も広島は13年です。
金石 そのあとに“再生工場(野村
ヤクルト)”に行って、開幕戦で
巨人の
斎藤雅樹から開幕3連発! 僕はちょうど叔父(
金田留広さん)が
ロッテから広島にトレードとなって、そのときにいっしょにくっ付いて広島に入れてもらった。ドラフト外でね。タケはドラフト2位だったかな。そのときの1位は誰だった?
小早川 川端(
川端順、東芝)さんです。僕は広島出身で小さいころから大のカープファンでしたから、プロに行くなら広島でやりたいと思っていたので、指名されたときは本当にうれしかったですね。
金石 あのころの広島はドラフト1位で投手ばかり獲(と)っていてね。だから下積みが長かったんだよなあ。おかげでプロ初勝利に7年もかかった。
小早川 金石さんが広島にいるのはもちろん知っていましたけど、PLで同期だった山中(
山中潔)もいましたし、ひとつ先輩には西田(
西田真二)さんもいて、PL出身が多かったのは心強かったですね。
金石 大先輩には新美(
新美敏)さんもいたなあ。西田はPL時代はエースで控えが自分だった(笑)。でも西田は大学時代に打者に転向して広島には打者として入ったんだよね。
小早川 西田さんは法政の先輩でもあります。
金石 自分が入団したころのカープは“赤ヘル軍団”として、チームとして確固たる力があった。常勝チームだったよ。個性豊かな選手が多くて、投手王国とも言われていてね。入団から4~5年は走ってばかり。陸上部みたいだった。当時のカープは一軍と二軍の差がすごくあった。二軍から一軍を見ると、すごい選手たちばかりだと感じた。
小早川 それは僕も入団当初から感じていました。たまたまチャンスをいただいて、結果が出て上で使ってもらっていましたけど、二軍には絶対に行きたくないなと。
金石 タケは1年目から活躍して新人王を獲ったからね。
小早川 広島のファームはとても厳しかったですよね。練習はもちろんですが、規律の面でも厳しかった。高校、大学も厳しかったですが、プロになってもこんなに厳しいのかと思いましたから。
金石 コーチには絶対服従。今はどの球団もフレンドリーな関係が見られるけど、当時はまるでなかった。コーチが選手に文句ひとつ言わせなかった。あと二軍にホームグラウンド、練習場がなかったことが強烈な印象として残ってる。広陵高やNTTのグラウンドを借りて練習していた。これがプロなのかと衝撃を受けたから。
小早川 僕が入団したころの広島は・・・
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