駒大苫小牧高のエースとして甲子園で名勝負を繰り広げた。“怪物”と呼ばれた規格外の剛腕投手は1年目から想定どおりの活躍を見せた。 取材・構成=滝川和臣 写真=BBM 
今に比べれば体もまだ細い
高卒史上4位の奪三振
「まったく満足できません。もう少し勝てたという思いもありますし、相当悔しいですね」
シーズン後のインタビューでは、不機嫌そうに振り返っていたが、2リーグ制後、高卒新人の2ケタ勝利は15人目。1999年の
松坂大輔(
西武)以来で、その前となると67年の
江夏豊(
阪神)までさかのぼる。
ただ、決して順風満帆ではなかった。3月29日、対
ソフトバンクのデビュー戦(ヤフードーム)は2回途中6失点。この時点での防御率は32.40となる。当初は大量失点のゲームもあったが、それでも幸運もあって黒星がつかぬ試合も多く、
野村克也監督から飛び出したのが、「マー君、神の子、不思議な子」だった。
それでも交流戦から勝利を重ね、最終的には11勝。特筆すべきは高卒新人史上4位タイの196奪三振だ。奪三振率9.47は新人では90年の
野茂英雄(近鉄)に次ぐ2位、これは高卒新人では1位だ。
この年の最終登板、10月3日の
日本ハム戦(フルキャスト)で13奪三振、1失点完投勝利を飾った後、野村監督は「神の子もついに自立したな」とほめた。ただし、まだ、「ハンカチ世代」と呼ばれていた時代だ。
【再録インタビュー(抜粋)】07ゴールデンルーキー直撃!「怪物」を継ぐ者 「怪物と言われるのはうれしいけど、しっくりこない」(2007年1月22日号)
■不安はたくさんある ──野村克也監督は第一印象として、不安がありそうに見えると語っていますが。
田中 いやもう不安だらけです。一番は人と付き合っていけるか。自分が一番下で何個も何十個も年が離れている人もいて、どういう人かまったく分からないんで、そういう人たちと、どうやってうまくやっていけるか心配です。
──高校3年間は自分にとってどのようなものでしたか。
田中 やっぱり天国から地獄まで見ましたし、本当にいい思いもできたんで、ほかでは味わえない経験がたくさんできました。それは自分にとって、これからの野球人生でも、普通に生活でも生かしていけることばかりだと思います。
──高校野球で学んで、プロで生かしたいことは。
田中 それなりにずっとやってきて、自分の考えとかありますし、自分が経験してきた中でのいろいろなものっていうのはあると思うんで、大げさに言ったら自分を曲げないほうがいいと思っています。何でも人の言うことを聞いていたら、自分がなくなってしまいますし、全部崩れてバラバラになる。新しいアドバイスをもらったときは、自分の考えにプラスして生かして、どんどん進化していけるようにやっていきたいと思います。
──1年目の目標は。
田中 まずは初勝利を挙げたいですね。
──サインは手慣れた感じを持ちましたが、練習したんですか。
田中 まあ、考えたその日に頑張って書きました。
──書いてみてどうでしたか。
田中 最初に比べれば、いい感じだと思います。
──色紙に書いている気持ちというのはいつから好きな言葉に。
田中 こういうふうに書き始めたのは高校2年生くらいからです。先輩とか見ていたら何か言葉を書いていたんで、自分も書いたほうがいいのかな、と。
──マスコミで「怪物」と形容されることがありますが、これについては。
田中 そういうふうに言われるのはうれしいと思いますけど、自分ではそこまですごいピッチャーだとは思ってないんで、あんまりしっくりこないです。
──プロでは、どういう選手になりたいですか。
田中 勝てる投手を目指してやっていきたいというのと、勝つ投手というのはチームに勢いを与えたり、流れを呼び込んだりする投手だと思うんで、そういったピッチャーになれればいいと思っています。
──そのために大切なことは。
田中 やっぱりおとなしいピッチングよりもどんどん気持ちを前に出して投げたほうが乗っていきやすいんじゃないかと思っています。