1年目から2ケタ勝利の快速球左腕・鈴木啓示

球はとにかく速かったが、内角勝負は紙一重。手痛い一発もあった
下記に紹介する江夏同様、真のブレークは2年目からだったが、チーム打率.228のチームで新人ながら10勝は見事。奪三振も多かったが、被本塁打も多かった。 育英高3年時には大阪学院高と練習試合をし、27奪三振をマークしたこともある。少年時代から
阪神の
村山実にあこがれ、大の阪神ファンでもあったが、第1回のドラフト会議で指名されたのは低迷期の近鉄だった(2位指名)。
「先輩たちは負けてもまったく平気。最初はプロというのはそういうもんなんかな。毎日、切り替えていかんといけないのかなと思ったけど、考えてみたら違う。これは逆やないか。先輩がアマチュアなんやと思った」と鈴木は回顧する。1年目から先発ローテに入り、10勝12敗。奪三振は160だったが、真っ向勝負の代償か被本塁打も24と多かった。
シーズンが終わると「負け犬根性に染まりたくない」と寮を出て一人暮らし。それも不文律であった近鉄沿線ではなく、阪急沿線。先輩からは「生意気や。あいつが投げるときは打たんでええ。エラーしたれ」と聞こえるように言われたこともあったが、まったく気にしなかった。2年目から・・・
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