ここでは球団別の「エースの系譜」をたどっていく。チームを幾多の栄光に導いた者、低迷期を孤軍奮闘で支えた者……。彼らがなぜ「エース」と呼ばれたのか、あらためて考えてみたい。 ※エース選定は編集部、通算成績は他球団含む 平松政次 
在籍1967-84/通算201勝196敗16S、防御率3.31
大洋時代の右腕たち
エースと呼べる存在は、他球団と比較してそう多くない。伝統的にチームカラーは「打」のイメージ。強打者にスター選手が多く、投手が育ちづらい土壌ではあった。それでも大洋ホエールズ時代には、エース3投手が各年代に君臨した。
まず思い浮かぶのが1960年に日本一の原動力となった
秋山登だ。高校、大学でバッテリーを組んだ
土井淳とともに56年に大洋に入団すると1年目25勝、2年目には24勝を挙げた。「自分のものにしてしまえば、上手も下手も変わらない」と語った大きくねじりを利かせる独特のフォームで、12年間で193の勝利を挙げ、特に入団から4年で計80勝を挙げる活躍だった。
秋山が現役最後の67年に入団してきたのが・・・
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