ここでは球団別の「エースの系譜」をたどっていく。チームを幾多の栄光に導いた者、低迷期を孤軍奮闘で支えた者……。彼らがなぜ「エース」と呼ばれたのか、あらためて考えてみたい。 ※エース選定は編集部、通算成績は他球団含む 杉下茂 
在籍1949-60通算215勝123敗、防御率2.23
大切なのは勝利数
多くの球団が背番号18をエースナンバーとしているが、
中日のエースナンバーは20だった。これは1954年に球団史上初の日本一を成し遂げた大エース・杉下茂が背負っていたことによる。
杉下が強く意識していたのは防御率ではなく勝利数。当時の天知俊一監督から「最後の1点を取られないのがエース」と強く教えられ、味方が1点しか取れないならゼロに、2点しか取れないなら1点に抑え、5点取ったら4点まではと、とにかくチームを勝たせる投手こそがエースであると考えていた。
その杉下のあとは新人の
権藤博が20を背負い、1年目に35勝、2年目に30勝と投げ続けて光り輝いた。過度な登板は「権藤、権藤、雨、権藤~」とも言われたが・・・
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