ここからは球団別に「四番打者」の歴史を掘り下げていく。チームの看板を背負う男たちには数字にプラスアルファの何かを持っていた。 ※KING of KINGSで紹介している選手が編集部選定の球団史上最強四番打者 
チームの中心として黄金時代もけん引した野村克也
監督で四番の時代も
ここ10年で5度のリーグ優勝、それを上回る6度の日本一に輝いているが、必ずしも絶対的四番が存在しているわけではない。しかし、かつて南海が築いた黄金時代には“これぞ四番”という選手が君臨していた。
山本一人、
飯田徳治、そして野村克也。このうち山本と野村は、兼任監督としても手腕を発揮し、大役の両立を見事にやってのけた。特に、1956年にシーズン3試合ながら初めて四番に座ってから南海を離れる77年まで通算2256試合で四番を担った野村は、四番出場数はもちろん球団トップながら、そのうち823試合が・・・
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