四番の素質がありながら、四番に座ることは少なかった。中日には谷沢健一、落合博満という大打者たちがいたからだ。しかし、彼らのあとを打つことで四番の重責を知った。中日では歴代最多の344本塁打を放った五番打者の四番論。 取材・構成=牧野正、写真=BBM 四番は打線の核
僕に四番のことを聞くわけ?(笑)。ただまあ、間近でたくさんの四番打者を見てきたのは確かです。チームの中でもっともレベルの高い打者が四番に座るというのが一般的ですよね。チャンスに強くて長打もある。チームでもっとも頼れる打者が四番を任されるもの。たとえ打てなくても「こいつで打てなかったんだから仕方ない」と思わせる打者が四番だと思います。チームの大将が打てなかったんだから、それはもうあきらめるしかないでしょう。だからそういう意味でも、首脳陣や仲間の選手、そしてファンと誰からも認められる打者が四番に座るべきだと思います。
四番は打線の中心。四番が決まれば、ほかの打順も決まってくる。四番がコロコロ変わっているチームというのは、中心が揺れ動いている状態だから落ち着かない。ほかの打順にも影響してきます。
落合さん(落合博満、
ロッテほか)が中日に移籍してきて四番にどっかりと座った。3度の三冠王ですから当然ですよね。それで打線の中心が決まったから、当時の
星野仙一監督は打線を組むのは楽だったと思いますよ。落合さんが移籍してくる前年の86年、四番は主にゲーリーという外国人が打っていましたが、
大島康徳さんや谷沢健一さん、また
川又米利も打っていた。監督就任が決まっていた星野さんにすれば打線の核、真の四番を入れることで打線のテコ入れをしたかったのだと思います。星野さんはそれを成功させたし、落合さんは最高の適任者でした。
落合さんが四番に座ったことで僕も五番に固定されました。それは重圧も大きかったですよ。一死二、三塁の場面では、ほぼ100%落合さんは歩かされる。満塁にして宇野でゲッツーという狙い、よく分かりますからね(笑)。
その落合さんで強烈に印象に残っているのは・・・
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