自ら現役引退を決められるプロ野球選手は希有だ。幸せな野球人生だったと言っていいだろう。今週の特集パート1は、今季限りで現役を退く選手たちを特集する。「火の玉ストレート」で数々の好打者を手玉に取った阪神・藤川球児。2005年にはリーグ優勝に大きく貢献した。引退を決めるまでの心の内、そして、ファンへの感謝の気持ちを熱く語った。 取材・構成=椎屋博幸 写真=毛受亮介 
NPBタイトル 最優秀救援投手2回[2007、11年] 最優秀中継ぎ投手2回[2005、06年]
最後に人間・藤川球児でファンに感謝の気持ちを
9月1日に現役引退会見を行った。その後10月に一軍に昇格すると、勝負師の顔はそこにはなく、ファンへ温かい笑顔を届ける藤川球児になっていた。阪神ファンにもらった多くの声援。それが代名詞の「火の玉ストレート」に乗り移り、絶対打たれないボールへとなった。その感謝を伝え11月10日の本拠地・甲子園での引退試合(対巨人戦)を迎えた。 ◎
──引退会見後、一軍に昇格後は、藤川選手から多くのファンのためにという感謝の気持ちが強く感じられました。
藤川 引退を決めるまでは、チームに勝利を届けるのために、自分を出さないよう、仕事をまっとうしていました。冷静に考えた末に引退を決めたときに、「藤川球児」という野球選手はずっと見てもらっていましたが、どんな人間なのかというのは誰も知らないと思ったんです。誰にも人間・藤川球児を見せてなかった。例えば、自分の本心を家族にも明かしてないというような感覚でしたね。どこかで自分を隠していたところもあったので。
──引退を決めたときに、本当の自分をファンに見せようと決心をされたんですね。
藤川 引退を決めた後、一軍に上がってからは「藤川球児はこれだけファンの皆さんに感謝しています」という気持ちを、普段の藤川球児がお伝えしなければいけないな、と思っていました。
──一軍に上がってからは、マウンドでの表情が柔らかくなった気がしていました。
藤川 引退を決めるまでは「明日も勝利のために頑張ります」というような、ファンが求めている藤川球児がいました。つまりファンに納得してもらえるプレーを見に来てもらおう、そして感動を与えなければいけない、結果を示さなければいけない、という思いで投げていました。もう一方で野球を離れると「人間・藤川球児」がいます。引退を決めてからその人間・藤川のほうが、ファンに感謝を伝えないといけないな、となっていました。さらに藤川球児がどういう感情を持っているのかを見てもらいたいとも思いました。もし、野球選手・藤川球児として11月10日を迎えたとしたら、ファンの皆さんに「感謝」を伝えきれないと思ったんです。つまり、引退会見後に一軍に上がったら人間・藤川球児で感謝を伝えなければということを、野球選手・藤川球児が許したということです。
──メジャー式のように引退を公表してファンに感謝を伝えるという形を取ったということでしょうか。
藤川 それは違いますね。引退を決めるまでは、今年もチームをいかに勝たせるか、だけを真剣に考えてやってきました。しかし、引退を決めたときに勝負師としての自分は死にました。勝負師でなくなった時点で、引退を決めてそのまま身を引くというような形を考えました。しかし、これだけ藤川球児という選手を愛してもらったので、ファンにもしっかりと最後を見せたいという思いが強かった。その時間を取らずにやめていくのは自分勝手かな、と思いましたから。
──だからこそマウンドに上がったとき以外でもファンの声援に応えたりするなど、できることをしている印象がありました。
藤川 阪神にはたくさんのファンがいます。その人たちの思いや、僕に対しての思いなどを、僕主導でブチっと切ってしまうことはできなかったですね。だからこそ・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン