日米通算170勝右腕がユニフォームを脱いだ。日本復帰から引退決断まで、2年間の苦悩のストーリー。 文=福島定一(スポーツライター) 写真=高塩 隆 
11月7日の引退セレモニーでは、ナインが功績を称え、引退を惜しんだ
10月7日、
岩隈久志は試合前に行われる全体練習よりさらに前の時刻に、東京ドームのマウンドに立っていた。打撃投手を務めるためだ。ネット裏には
原辰徳監督や球団幹部らの姿。本人、そして球団ともに現在の状態を確認するのが主な目的だったが……。その初球で右肩に激痛が走る。岩隈が投じた1球は打者を直撃。右腕は右肩を地面に向けてダラりと下げ、苦悶(くもん)の表情を浮かべていた。野球人生初の脱臼だった。わずか1球で終了。その後、時間をかけて原監督や球団幹部、家族らと話し合い、今季限りで引退する意向を固めた。
8年ぶりの日本球界復帰は、注目を集めた。2018年12月19日、都内ホテルの壇上に、原監督とともに並ぶ。1年契約で年俸は推定5000万円。背番号は
楽天時代と同じ「21」に決まった。このときまで日米通算170勝を挙げていた右腕は、残り30勝に迫った大台に触れ「大きな数字。ジャイアンツで達成できたらいい」と語っている。17年9月に右肩を手術し、この年限りで6シーズン在籍したマリナーズを退団。その後の道を模索している最中に、09年WBCで、監督と選手として同じユニフォームを着た原監督から・・・
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