長い球界の歴史の中で、背番号にもさまざまなドラマがある。ここでは、それをクイズ形式にし、いくつか出題していきたい。難問があれば、詳しい方なら簡単過ぎるとお叱りを受けそうなものもあり(全20問中の1~10問)。 Q01.SHINJO最後の背番号は?
04年、メジャーから日本ハムで日本球界に復帰し、背番号1を着けたSHINJO(
新庄剛志の日本ハム時代の登録名)だが、06年の現役ラストイヤー、レギュラーシーズン最終戦だけ違う番号を着けている。その番号は?
A.63 新庄剛志が
阪神入団の90年から3年間着けた「63」。もともとこの番号を着けていた
渡部龍一は、この日だけ「68」に。ちなみに新庄は、阪神時代この番号の後、「5」になったが、最初は44を希望したという。これはOBバースではなく、ドジャースの44番・ストロベリーにあこがれたからとか。
Q02.巨人の18を断った選手は誰?

18の巨人エース、堀内
ジャイアンツのピッチャーなら誰もあこがれる背番号18。これを着けていた
堀内恒夫が84年限りで現役引退した後、この伝説のエース番号を譲ろうと打診した選手がいたが、あっさり断ったという。それは誰?
A.江川卓 当時30番を着けていた江川は「このままでいいです」と辞退。前任の堀内恒夫は「もっとも江川の巨体に18は似合わんよね」と話していた。なお江川は78年秋のドラフトで阪神に1位指名され、形だけ阪神に入団契約をしてから巨人に移籍ということになっている。そのときこれも仮だが、背番号は3となっていた。また、同様に入団契約後、開幕前に三角トレードとなった選手に69年秋、大洋にドラフト1位指名された
荒川堯がいるが、
ヤクルトへの移籍前、大洋で着けた背番号は3だった(ヤクルトでも3)。
Q03.川上監督はなぜ「77」を着けたのか?
58年で引退後、助監督、監督としてしばらく16を着けていた巨人・
川上哲治監督だったが、64年から「77」に変更した。この番号を選んだ理由は?
A.・・・
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