3つの“B”を継承し伝統を重んじる。阪急、オリックス、そして近鉄と合併し、ブレーブス、ブルーウェーブ、バファローズと愛称が変わる中、ユニフォームも変貌を遂げてきた。 阪急(1936〜1946) - 阪急ベアーズ(1947〜1947途) - 阪急ブレーブス(1947途〜1988) - オリックス・ブレーブス(1989〜1990) - オリックス・ブルーウェーブ(1991〜2004) - オリックス・バファローズ(2005〜) 【Best1 1975〜1979年モデル】3年連続日本一を遂げた“黄金期の象徴
HOME 1975〜1979 福本豊
75年から78年までリーグ4連覇、77年までは3年連続で日本一と黄金期に着用したもの。赤と黒のラインが入ったパンツはベルトレスで、77年からは背ネームがついた
VISITOR 1976〜1979 山田久志
ホーム用と同様に上着は伸縮性のあるダブルニットの素材で、プルオーバー式。胸文字は『HANKYU』を踏襲もカラーはグレーから一新してブルーを採り入れた
ペンシルストライプを廃止して、1961年シーズン以来11年ぶりに、胸マークの『Braves』に赤を復活させたのは72年のこと。ボルチモア・オリオールズのユニフォームからヒントを得て、日本人の体格に合うよう研究を重ねて阪急独自の格調高く仕上げ、75年にマイナーチェンジしたのが、このユニフォームだ。ソデとベルトレス部分の赤、黒のラインをやや太くし、さらにパンツの赤、黒ラインも上部が広く、途中で幅が狭まる形になって存在感が増した。すると75年に球団初の日本一に。エース・山田久志、“世界の盗塁王”こと福本豊ら、ナインが着用して躍動し、78年まで3年連続日本一、リーグ優勝は79年まで4連覇と黄金期を築いた。
鮮やかな色付けを可能にしたのが最先端の素材だ。化学繊維と綿との混紡で作られたニット素材で、伸縮性にも富んでいた。さらに・・・
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