ともにドラゴンズのユニフォーム一筋で投げ続けてきた。1984年に入団した山本昌は引退する2015年まで実に32年、岩瀬仁紀は頼れる中継ぎ、抑えとして20年もマウンドに立った。日本球界で一番長く投げ続けた男と一番多くの試合に投げた男。ドラゴンズの歴史を語る上で欠かせない鉄腕2人の思い出話。 取材・構成=牧野正 写真=早浪章弘、BBM 撮影協力=名古屋東急ホテル 
山本昌[1984-2015]
少年時代はGファンサイドスローに転向も
山本 今年で85周年、その歴史の中で30年以上もドラゴンズでやれたということは3分の1以上か。俺、そんなにやってたんだ(笑)。
岩瀬 やってましたよ。プロで10年できればというところを、その3倍以上ですから。
山本 ドラフト5位の選手だったんだけどね(1984年入団)。指名されたときは親父が喜んでくれた。ドラゴンズファンだったから。俺はジャイアンツのファンだったんだけど。
岩瀬 実は僕もそうなんですよ。地元(愛知県西尾市)だから小さいころからドラゴンズファンだと思われているみたいですが、
巨人ファンだったんですよね。
山本 俺は関東(神奈川県)にいたし、テレビ中継も巨人戦ばかりだったからね。でも岩瀬は逆指名(99年ドラフト2位入団)からジャイアンツではなくドラゴンズを選んだよね。やっぱりあこがれと実際にプロでやるというのとでは違うということだよね。
岩瀬 地元でできるというのが大きな決め手でした。一番熱心に誘ってくれたのもドラゴンズでしたからね。担当スカウトは
近藤真市さんです(現スカウト、プロ初登板でノーヒットノーランの快挙を達成した左腕)。

岩瀬仁紀[1999-2018]
山本 真市と言えばね、寮で隣りの部屋に入って来たんだよ。享栄高で金田(
金田正一、国鉄ほか)さんの後輩にあたる左腕ということで、背番号は34になるだろうという記事が出ていたから、これは取られるなと覚悟していたんだよね。真市が施設見学に来たときに「背番号は何番?」と聞いたら「13番です」と。すごくホッとした覚えがあるよ。
岩瀬 僕がその13番を受け継ぎました。近藤さんの口説き文句は・・・
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