東京五輪の野球、ソフトボールのメーン会場となった横浜スタジアム。開催にあたっては、国際大会ならではのハード面で多岐にわたる準備があった。 取材・構成=滝川和臣 
プロ野球シーズン中の看板などは、すべて隠された横浜スタジアム[写真=WBSC]
急ピッチで進んだ作業
世界規模のビッグイベントを迎えるに際して、横浜スタジアムは早い段階から準備を進めてきたが、6月に五輪前、最後のプロ野球公式戦が終わると本格的に“オリンピックモード”に突入。野球、ソフトボールのメーン会場となった現場では、どのような流れで開幕を迎えたのだろうか。ハード面を担当した重田克巳さんに聞いた。 さかのぼれば2017年から3年にわたり着手した球場増築・改修工事と並行して、すでに19年のシーズン中から五輪用の通信、電源ケーブルなどの準備が始まっていました。大がかりだったのがインフラ設備で、横浜スタジアムに隣接する旧横浜市庁舎がOBS(オリンピック放送機構)などの中継基地になっていました。そこへ渡すケーブルブリッジや通信、電源ケーブルも2年がかりでやってきました。大会の様子は世界へ発信するわけですから、そうした面ではかなりの物量でした。今年の6月6日、ベイスターズの五輪前最終試合となった
ロッテ戦が終わり、8日から横浜スタジアムは東京五輪の組織委員会への完全貸し出し期間となりました。最終準備が急ピッチで始まり、ドーピングルームをつくったり、有観客での開催に備えて、お客様用の医務室なども仮設されました。
プロ野球が開催されていたハマスタからの模様替えとしては、グラウンドに五輪マークをペイントで描き、ベイスターズのロゴがあった部分などは人工芝を張り替えました。球場内の既存の広告は組織委員会側が担当し、全体の約8~9割をシートで覆い隠しました。外野フェンスはシートを掛けるとプレーに影響を及ぼすため、広告はすべて塗装でつぶしてオリンピックカラーにしました。
ハード面で大きな作業だったのが・・・
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