8月末、ドラフト戦線に急浮上した。最速156キロのストレートに150キロに迫るスプリット。クローザーとしての適性がある。数多くの我慢をしてきただけに、メンタルも充実する。 取材・文=岡本朋祐 写真=桜井ひとし 
爽やかな表情で写真撮影に応じてくれた。マウンドに立てる「充実感」。1球、1球に気持ちがこもっている
マウンドに上がるたび、
柴田大地は心の底から感謝している。「ずっと、悔しい思いをしてきた。当たり前の日常が、当たり前ではなかったので……。幸せをかみ締めています」。プレートを踏めば、人生を懸けた真剣勝負である。「いつかは自分が! と、思い続けてきた」と、闘志前面の投球を披露する。一躍、柴田の評判がスカウトの間に広まったのは8月末のオープン戦だった。156キロのストレートに加えて、147キロのスプリットで空振りを奪える。試合終盤の短いイニングで打者を牛耳る、パワーピッチャーとして注目を集めた。
「スカウトの方々が、グラウンドに視察に来ていたのは知っています。プロに行きたい思いを持っています」
実は競技者としてのルーツは野球ではなく、サッカーにあった。5歳で地元の萩中サッカークラブに入部し、ゴールキーパーとして活躍。「もともとボールを投げるのが好きだったんです。味方の攻撃前、さすがにゲームでは蹴っていましたが、練習ほかではスローイングが多かったです」。柴田の“投球センス”に着目した当時のサッカークラブの指導者が野球転向を勧めた。3年夏限りで同クラブを退部し、冬からは東糀谷イーグルスに入団。やや寄り道をしたが、柴田の野球人生が幕を開けたのだった。5歳から小学校6年までは水泳教室に通い、投球につながる柔軟性は、ここで磨かれたという。
中学時代は硬式野球チームの羽田アンビシャスでプレー。目立った実績はなく、日体大荏原高では3年夏こそ主戦で投げたものの、東東京大会4回戦敗退。3年間でエース番号を着けることはなく、高校野球を終えた。当時の最速は142キロだった。
採用決定後にトミー・ジョン手術
日体大では故障と向き合う日々が続いた。合流直後に右ヒジを痛めたが・・・
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