札幌市内ホテルで行われた就任会見に集まった報道陣を前に約50分間、しゃべり倒した。新庄ワールド全開の当日の様子を、一部抜粋してお届けする。 【冒頭あいさつ】
新庄 今日は集まってもらい、ありがとうございます。1946年、今から75年前。1代目の横沢監督(
横沢三郎、セネタース時代)から始まり、そこから21人目の栗山(
栗山英樹)監督、その次22代目の監督として選ばれたことが非常にうれしく、また、選手兼監督という形で契約を結んでもらって……。
川村球団社長 いえいえ、監督だけです。
新庄 あっ! 監督だけ? すいません。監督だけでした(笑)。今日は監督らしくビシッと監督っぽい格好で来ました! これからは顔を変えずに、チームを変えたいと思っています。以上です!
【質疑応答】
■10月12日にオファー受諾 ──まずは、北海道にお帰りなさい。
新庄 ただいま。帰ってきました!
──今の率直な心境は。
新庄 正直自分が一番びっくりしています。僕でいいのかなという思いの半面、僕しかいないなと。
日本ハムも変えていきますし、僕がプロ野球を変えていきたいなという気持ちで、帰ってきました。
──監督のオファーはいつごろ? どう感じたか。
新庄 2年前、僕が48歳でトライアウトを受けるという発言をして、1年間海外でトレーニングをしました。トライアウト前に日本ハムの球団の方から「新庄さん、お元気ですか? トライアウト頑張ってください。いつかまた会える日を楽しみにしています」と1通のメールが来ました。「よしよし、これで選手に戻れる」と思い、トライアウトを受けました。しかし、オファーはなかった。あら!? おかしいじゃないかと(笑)。
選手では復帰はできなかったんですけど、必ず何かあると、勝手に信じてやってきた。1年間、12球団二軍の選手のプレーを勉強して。そして・・・
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