
新球場完成に伴い、現神宮球場は解体される見通し。写真は1989年オールスターのスコアボード
失われていく球場への思い
仕事の手を休めて、しばしば手に取る一冊がある。『失われた球場物語 追憶のロスト・ボールパーク』(小社刊)と題されたムックだ。今はなき球場の秘蔵写真が満載で、眺めているだけで懐かしくも、切なくもなってくる。幼いころに足を運んだ後楽園球場、川崎球場はもちろん、一度も訪れたことのない西宮球場、藤井寺球場、大阪球場でさえも、自然と「懐かしさ」を感じるのだからロスト・ボールパークには不思議な魅力がある。このムックを手に取るたびに、僕は野球が好きであると同時に、球場もまた大好きなのだと実感するのだ。
数年前、太平洋クラブ、そしてクラウンライター・ライオンズに関する書籍を出版した。その際に、時間を見つけては何度も平和台野球場跡地を訪れた。2002年3月に完成した「平和台球場の碑」を見て、お濠(ほり)を渡り、球場があった場所へと歩を進めていく。
東尾修さん、
基満男さん、
竹之内雅史さん、
真弓明信さん、
若菜嘉晴さんらの口から何度も出てきた「玉砂利の坂道」を歩いていると、往時の姿を知らないにもかかわらず、まるでタイムスリップしたかのように、目の前に球場の姿が立ち現れてくるかのような錯覚を覚えたものだった。それは・・・
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