ここからは日本代表の奮闘ぶりを振り返っていく。2005年にMLBがWBC開催を決定。見切り発車で06年3月に、形式的には16カ国を招待する形で行われた。その中で日本代表は、さまざまな困難を乗り越え、最後は王貞治監督を野球発祥の地・アメリカで胴上げするという最高の形で、初代世界チャンピオンとなった。 写真=BBM 
第1回大会は王監督[左]&イチローのタッグで世界一に輝いた
因縁となる言葉
半信半疑の中でスタートした第1回大会。だが、メジャーを代表する一番打者のイチロー(マリナーズ)が参戦し、王貞治監督(
ソフトバンク)が率いる日本代表。まさに夢のようなチームが船出した。
一方で、そのほかの日本人メジャー・リーガーが続々と辞退し、レンジャーズの
大塚晶則とイチローの2人のみが加入。2005年に日本一になった
ロッテからは8人が招集され、ソフトバンクの
川崎宗則と
ヤクルトの
青木宣親などの若手も加わった。この日本代表は、イチローの高いモチベーションが各選手たちの気持ちを高めていった。その一方で・・・
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