セとパの両リーグで本塁打王を獲得した。通算403本塁打を30球場で放っているが、意外にも本拠地の球場を苦にしており、ビジターの球場のほうが相性が良かったようだ。 取材・構成=牧野正 写真=BBM 
球場の好き嫌いは本塁打を打ちやすいかどうか。広さ以上に球場の雰囲気、そして風がポイントだった
球場は雰囲気が大事
僕が一番好きだったのは神宮球場です。狭いのもそうですが、打席に立つと打ち下ろしに見えて打てる気がするんですよ。外野方向への風の影響で打球がよく伸びるし、これは横浜スタジアムもそうなんですが、うまく上げれば本塁打になる感覚でした。ダイヤモンドが狭く見えましたし、昔の神宮は外野のフェンスも低かった。左翼を守っていたとき、頭上付近にもうお客さんがいましたからね。調子を崩していても不思議と神宮では打てる気がしたものです。ベンチ裏に
ヤクルトが飲み放題で置いてあったのも大きかった。
だから本当にFAを使ってヤクルトに行けないかなと思っていた時期があったんですよ(笑)。それで実際、
中日を出ることになるんですが、そのときできるならヤクルトに行きたいと球団に希望していたんですが、同じリーグには出せないということで
オリックスに決まりました(2003年)。でも神宮をはじめ、横浜スタジアム、東京ドームと関東のセ・リーグの球場は狭く、そこを本拠地のチームにしていたら、シーズンで5〜10本塁打は違っていたんじゃないかな。中日の本拠地は最初は狭いナゴヤ球場でしたけど、途中から広いナゴヤドームでしたから。
ナゴヤ球場の最後の年に本塁打王を獲ったんです(1996年)。ナゴヤドームになって、これは苦戦するだろうなと思いましたし、本塁打も確実に減るなと。ナゴヤ球場は当てればスタンドに入りましたけど、ナゴヤドームは振っても入らない。自分の打撃を変えるつもりはなかったですけど、今よりもっと振らないと入らない、もっと強いスイングをしないと入らない、そう思っているうちに本来の形が知らず知らず崩れていくんですよね。フルスイングではなくオーバースイングになってしまうというか、これはホームラン打者にはよくある話ですけど。
でも神宮よりも東京ドームのほうが打ってますね……(下表参照)。これはおそらく宿敵でもある
巨人戦ということと、いつも超満員で膨れ上がっていましたから、それで気持ちが入っていたかも。やっぱり大きな球場でお客さんがたくさん入っている中でプレーできるというのは選手冥利に尽きますから。球場の雰囲気に乗せられるというかね。そういう意味では新型コロナ禍で無観客や人数制限があった数年前の状況は、選手にとっては地獄だったと思います。
■山崎武司氏の球場別本塁打数 
※球場名は最後の本塁打時の名称
広島市民球場も狭かった。ただ、あそこは湿気がすごかったから、意外と飛ばなかったんですよ。あと打席とベンチの距離がすごく近かった。ビジターは三塁側ベンチになるじゃないですか。左打者が真横にライナー性のファウルを打つとベンチを直撃して危険なので、左打者のときは少しも目を離せませんでした。マツダ広島でも1本打っていますけど、これは今でもよく覚えています。スタメンから外されて、
スタルツという左投手からライトに代打満塁本塁打だった(10年5月14日)。

自身唯一の1試合3打席連続本塁打は広島市民球場だった[1999年5月9日]
甲子園はヤジが痛烈。練習中によく唐揚げが飛んできましたが、甲子園も超満員になると雰囲気がガラリと変わり、すごくプレーのしがいがある球場でした。甲子園もラッキーゾーンが撤去されて広くなり(92年から)、浜風もあってなかなか本塁打が出ない球場でした。
球場あるある話
苦手だった球場というか、本塁打が打ちづらいなと常に感じていたのは、実は
楽天の本拠地だったKスタ宮城です。一番本塁打を打っている球場ですから、意外と思われるかもしれませんが事実なんですよね。

屋外球場のKスタ宮城[現楽天モバイル]、東北の寒さが球場に与える影響も少なくない
というのも一番は風と寒さ。同じ風速1メートルでも東北では寒い分、空気が重い。ゴルフでも寒い日は飛ばないのと一緒のこと。天気がいい日は常にレフトからライトに向かって風が吹いていて、レフトがアゲンストになる。でも夜8時になるとその風がなぜか不思議とピタリと止まる。だから1、2打席目は風速5メートルぐらいの感覚で打席に立っていて、勝負は風が止まる3、4打席目と思ってね(笑)。あとはチームが“飛ばないボール”を使っていたことも正直、大きかった。それに仙台は梅雨が長く、雨が降ってボールがなかなか飛ばないと、とにかくKスタには飛ばす条件がなかった。
西武ドームとかはよく飛びましたけどね。
逆に暑かったのはナゴヤ球場。現役最後の年は二軍戦にも出ていましたけど(13年)、ある真夏の試合でベンチからネクストサークルに出た瞬間、異常な暑さを感じてね。人工芝の照り返しで計ったら54度。この中でプレーするのはもう無理だと悟り、引退を決めた一つの要因になりました。昔は真夏と言ってもそこまでの暑さじゃなかった。名古屋は夜になっても暑苦しかったですけど、関東のナイターは少し風があっていい感じでしたからね。お盆を過ぎると涼しく、秋めいた感じになる雰囲気がありました。
本塁打に関係なく、選手としてプレーしやすかったのは、神戸のほっともっとフィールド。鮮やかな緑の天然芝で美しいスタジアム。思いきって(打球にも)飛び込んでいきましたよ。グラウンドコンディションは最高の球場でした。ただお客さんのことを考えれば、ちょっとアクセスが悪いのが残念だったかな。
地方球場は特に嫌いではなかったですけど、やっぱり12球団の本拠地に比べれば施設、整備の面でどうしても劣りますから、そこが苦労しました。打席も試合中盤になると足場がでこぼこになって不安定になってくるし、ちょっと照明も暗くてボールが見えづらい。あと困るのがバックスクリーンのボードから投手の手が出てしまって、ボールの出どころが見えないんですよ。本当に“消える魔球”でしたね。それに地方球場は守りが心配。土の球場が多いですから、一塁を守っていたときですけど、走者が出るとリードをとる。その場所はほとんど同じだから、そこで打球がバウンドしてくれるなよとか守りながら祈ってました。
子どものころは実家(愛知県知多市)に近いナゴヤ球場、たまに親父と見に行ってました。楽しみはお弁当。昔の外野席は長い椅子に
大勢がぎゅうぎゅうになって腰掛けての観戦。その中で弁当を食べるんですが、しょうゆがピュッと飛び出てしまって前に座っていたお客さんの白いシャツに掛かったことを覚えています。球場あるあるですね(笑)。当時の人気は何と言っても巨人戦。あちこちで中日と巨人のファンが取っ組み合いのケンカをしていました。これも昭和の球場あるある。過激なファンが多かった。いつも不満だったのは、7回くらいになると「そろそろ帰るぞ」と親父が言い出すこと。最後まで観戦していると電車が混むからで、これも子ども連れの球場あるあるだと思いますよ。
PROFILE やまさき・たけし●1968年11月7日生まれ。愛知県出身。愛工大名電高から1987年ドラフト2位で中日に入団。3年目の89年に初安打、91年に初本塁打をマーク。10年目の96年に定位置をつかみ、39本塁打で本塁打王を獲得した。トレードにより2003年からオリックスへ。04年オフに戦力外通告を受け、05年に新規参入の楽天に入団。07年には43本塁打、108打点で2冠を獲得し、ベストナインにも選出。2011年オフに楽天から戦力外通告を受け、古巣・中日に復帰。13年限りで現役を退いた。通算成績は2249試合、1834安打、403本塁打、1205打点、打率.257。