海を渡ってどの球団へ移籍しても「二刀流」は成功したのだろうか? NPBでは日本ハムがその道をつくった。ではエンゼルスでは? 現状の大活躍を見ればすぐに分かる。だが、一方でチームは大きなジレンマを抱えている。ア・リーグ西地区優勝はおろか、ポストシーズン進出もままならない。「9月に熱い戦いがしたい」と言うユニコーン。その言葉が2023年こそ実現するのだろうか。まずは大谷翔平がエンゼルスで歩んできた6年間を振り返る。 文=奥田秀樹 写真=Getty Images 
いまや二刀流でMLBだけでなく、全世界の野球ファンを魅了し続ける大谷
【2023年成績】 <投手>8試合4勝1敗46.0回、22被安打66奪三振14失点、防御率2.74 <野手>39試合43安8本26点6盗、打率.287、OPS.874 2017年のオフ、もしポスティングシステムのルールが
イチロー、
松坂大輔のころと同じであれば、最高額を入札したチームが独占交渉権を得ていた。その場合であれば
ヤンキース、ドジャースなど世界一に近いビッグマーケットチームが獲得し、大谷翔平は1年目からワールド・シリーズでプレーしたかもしれない。
1年目に右肘を痛めトミー・ジョン手術(肘側副靱帯再建術)を受けたとしても、メジャー最初の5年間に一度もポストシーズンでプレーできないという事態にはならなかったに違いない。
しかしその一方で二刀流を早々とあきらめさせられ、野球の神様、ベーブ・ルースを超える史上最強の二刀流にはなれていなかったのかもしれないのだ。
毎年チームは負け越し、2人のGM、4人の監督が入れ替わった弱いチームで、大谷翔平は誰もが認める世界一の選手に成長した。歴史の皮肉とはこういうことを言うのかもしれない。エンゼルスを長年取材するロサンゼルス・タイムス紙のマイク・ディジオバンナ記者は「ビル・
ストーンマンの退任以降、チームは弱くなった」と指摘する。
1999年にGMに就任、監督にマイク・ソーシアを抜てきし、02年に世界一を成し遂げた。その後も3度の地区優勝。だが07年限りで辞めてからはアルトゥロ・モレノオーナー、ソーシア監督らが口を出し、チームづくりに一貫性がなくなったのだ。
現マリナーズ編成本部長であるジェリー・ディポトGM時代・・・
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