中野拓夢の二塁コンバートで空いたショートのポジションをつかんだ。さらに八番打者として、猛虎打線を「線」になるようにつなぎ、快進撃の核となった。なぜつながるのか……そこには、ある強い思いがあった。 取材・構成=椎屋博幸 写真=松村真行、宮原和也 
八番打者として次につなぐ。そのイメージのみで打席に立っていることで必然的にいい結果が生み出されている
結果はいつか付いてくる
遊撃の開幕スタメンは小幡竜平だった。オープン戦で結果を残し、開幕3連戦も結果を残した。だが、打撃が下降気味になったときに、取って代わったのが木浪聖也だった。守備はもちろんのこと、打撃では八番に入り、上位打線と下位打線をつなぐ役目で、阪神快進撃をつくり出した。そして今では、下位打線の核として、欠かせない存在となっている。 ──今年はここまでいい状態でのプレーが続いているように感じます。
木浪 もらったチャンスを自分のモノにできていると思います。僕と小幡(竜平)とショートのレギュラーは二択の状態で開幕までいきました。ただ結果はどうであれ、自分のやることは変わらないと思ってやっていました。
──開幕までレギュラーがなかなか決まらず、ご自身もヤキモキしていたのではないですか。
木浪 アピールを続けていた中で、開幕戦には出られなかったのですが、それも自分が結果を出せなかった、という悔しい気持ち、と同時にいつ来るか分からないチャンスを、どうモノにするかだけを考えていました。そのもらったチャンスを一発でつかめたのは大きかったです。
──今季初スタメンとなった4月8日の
ヤクルト戦(甲子園)では、結果は出ませんでした。このときの心理状態はどうだったのでしょうか。
木浪 結果に対しては、自分をコントロールしていませんでした。結果はいつか出ると信じてプレーを続けました。どうしてもヒットを打ちたい、いい守備をしたいというのは誰でも、そうだと思うんです。そうなると動きが硬くなり、いつもの自分が出せないという気がしたので、まずは自分ができることを一番にやる、という思いだけでプレーしていました。
──そのメンタルになるには、どういう過程があったのでしょうか。
木浪 メンタルの先生に相談し、いろいろと試したことで、こういう結果になりました。もちろん家族の支えもありました。いいときも悪いときも家族が励ましてくれましたので、それも僕にとっては大きかったです。
──メンタルが変わった部分とはどういうところだったでしょうか。
木浪 もともと・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン