近鉄で5年間投げたのち、活躍の場をメジャー・リーグへ移した。独特のトルネード投法で全米のファンを熱狂させ、最大の武器であるフォークボールで強打者たちを封じ込めた。野茂英雄がその成績以上にメジャーで残した功績を考えてみる。 文=笹田幸嗣(スポーツライター) 写真=Getty Images 
野茂英雄
天下無敵の魔球
1995年。野茂英雄は全米に旋風を巻き起こした。日本からやって来た26歳の投手に対し、メジャーの並み居る強豪たちは三振の山を築いた。球種は真っすぐとフォークボールの2つだけ。カーブを投げることもあったが、それは猫騙しのような使い方に過ぎなかった。シーズンで奪った三振の数は256。新人でありながら奪三振王に輝き、三振奪取率11.1もトップ。トルネード投法とともに、野茂を一躍スターダムに押し上げたのは天下無敵のフォークボールだった。
アメリカや中南米出身でもスプリット・フィンガード・ファストボールを投げる投手は多くいる。だが、野茂のように指を大きく開き、人差し指と中指で挟んで投げるフォークボールを投げる投手はいまだにメジャーでは稀だ。95年以降、フォークボールを武器とした投手は野茂のほかには
佐々木主浩(マリナーズ)、
千賀滉大(メッツ)ら、ほとんどが日本人投手と言っていいだろう。
変化球。メジャーでは日進月歩の道をたどっている。スライダーはスイーパーへと進化系の道をたどり、球速や変化を微妙に変え、
ダルビッシュ有(パドレス)のように11個もの球種を操るマジシャンもいる。それでもフォークボールと呼べる球を投げる投手はいまだに少ない。だからこそ“魔球”と呼ばれ、千賀のウイニングショットがアメリカでも“Ghost(お化け)”と評される所以だ。
野茂がデビューした95年、ドジャースの同地区ライバルチームには当時のメジャーでも群を抜く屈指の強打者が数多くいた。ジャイアンツのバリー・ボンズ、パドレスのトニー・グインがその代表例だ。彼らもまた野茂の魔球に手を焼いた。
野茂が現役時代に最も多く対戦した打者として知られるバリー・ボンズはMLB歴代最多の762本塁打を放った。対戦成績は・・・
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