野球人生で2度のターニングポイントがあった。高校でユニフォームを脱ぐつもりだったが、元プロ指揮官との出会いで大学へ進学。そして、昨年12月。大学日本代表候補合宿で、運命が大きく変わった。 取材・文=志村海 写真=太田裕史 
諫早農高[長崎]時代は最速145キロ。大学3年間で12キロアップし、卒業後のプロ志望とドラフト1位を目指している
高校時代は農業土木科に在籍
無走者でもセットポジションで、ゆったりとしたフォームから常時140キロ台後半から150キロ台前半の直球を投げ込む。試合終盤に入っても球威は衰えず、150キロ台を連発する無尽蔵のスタミナ。さらに、常日ごろから計測しているという直球の回転数はNPBでもトップレベルの2700回転を誇る。中村優斗は昨年12月に行われた侍ジャパン大学代表候補選手強化合宿(愛媛・松山)に初招集されると、紅白戦で自己最速を4キロ更新する157キロをマーク。大学球界を代表する強打者を相手に2イニング、打者7人を無四球で無安打に抑えた。ネット裏で視察したNPBスカウトも驚きの声を上げた。
「普段のリーグ戦と違って、短いイニングでの登板だったので、思い切り行けました。157キロを出したときは『本当かな?』と思いましたが、自信になりました」
2024年のドラフト上位候補に挙がる中村だが「野球は高校までで、将来は公務員を目指していました」と振り返るのだから、驚かされる。
豊かな自然に囲まれた長崎県諫早市で、姉、妹に挟まれた長男として育った。「よく泣いてばかりで、弱々しい子どもだったと思います」と幼少期を語る。野球を始めたのは小学校2年時。「当初はサッカーをやるつもりでしたが、チームがなくて……(笑)。すると、仲の良い友達から誘われたので、野球をやろうと思いました」。地元の学童チームに入部。当初はライトだったが、4年生からは投手を務めるようになった。
地元の中学では軟式野球部に入部するも、「最高成績は県大会に出場したぐらいですね」と、目立った成績は残していない。現実的な職業として、将来の公務員志望が芽生え「私立に行って野球をやるか、勉強をしながら野球をやるか、どちらにするか、両親や先生と相談をして決めました」。高卒での就職を見据え、全国屈指の農業土木系公務員の合格率を誇り、多数の公務員合格者を輩出している諫早農高に進学した。同校では農業土木科に在籍し、土木や測量、設計といった専門分野について学んだ。
野球部では1年秋から背番号1を着け、2年春と同夏に県大会8強。コロナ禍で3年夏の甲子園出場をかけた地方大会中止を受け、県高野連主催の独自大会では、長崎日大高に善戦(0対4)も初戦敗退。3年間で大きな舞台とは無縁だったが、ストレートの最速は145キロまで達し、長崎県内では知られた存在だった。
イニング数を上回る驚異の奪三振数
野球を続けるつもりはなかったという心境に変化が出始めたのは2年秋。愛知工大・
平井光親監督は中村の投球に惚れ込み、熱心に足を運んだ。かつて
ロッテで首位打者を獲得した指揮官からの勧誘に、野球継続の決意を固める。「ぜひ来てほしいと言われました。自分のことを見てくださっていましたし・・・
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