2006年、36歳を迎えるシーズンに海を渡った。ドジャーブルーのユニフォームで3シーズン計180試合を投げ抜いた鉄腕であり、引退後もパドレスの球団運営に携わるなど、MLBとの関わりが深い。当時と現在、そして24年にドジャースへ在籍する2人について、選手、球団、解説者としてドジャースを知る斎藤隆氏に語ってもらった。 写真=井田新輔、Getty Images 斎藤隆
環境は出来上がっている
2006年に、私がドジャースへと入団した当時、とても印象深かったのは、球団内ですでにアジア部門が出来上がっていたこと、そして携わる人々の手厚いサポートでした。過去に野茂(
野茂英雄)さんが在籍していたことはもちろん、私も一緒にプレーした
朴贊浩(パク・チャンホ)や胡金龍(フー・ジンロン)、そして台湾出身選手で初めてのオールスター出場を果たした郭泓志(グォ・ホンジー)といったアジアのレジェンドたちが在籍していたことも大きいでしょうね。
スタッフの方の熱意もまた高かったです。私はメジャーにいましたが、当初はマイナー契約だったこともあり、謙そんの意味も含めて「僕なんか大丈夫ですよ。心配していただかなくても大丈夫です」というスタンスでいました。すると、アジア選手を担当する方から「われわれはあなたをサポートするためにいるんです! 可能な限りあなたがカンファタブル(快適で居心地が良い)な環境をつくり、グラウンドに送り出すのがわれわれの仕事なんです!」と怒られてしまいました。今までそんなことを言われたことがなかったので、ウルっときましたね。そのくらい受け入れてくれる土壌、環境が整っていました。
そして24年は、
大谷翔平選手と
山本由伸投手が大きな評価を受けて入団します。彼らにも・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン