ドジャースと契約しても、監督が使ってくれなければ活躍の場もない。東の国から来たピッチャーを「私の息子」と呼び、使い続けた監督がいたからこそトルネードが輝いた。そしてその球を受けた正捕手が、球界を代表する人物だった。その2人に野茂英雄は、理解され、支えられ続けた。 文=樋口浩一 写真=Getty Images 
マイク・ピアザ[捕手/1992~98途]メジャーで野茂と一番多くバッテリーを組んだ。日本でも大人気選手となった
野茂のボールを一番受けたスター
昨年のWBC準々決勝で来日したイタリア代表の指揮官は、懐かしい顔、マイク・ピアザ監督だった。「野茂さんの捕手を務めることができたことは光栄に思っている。日本人メジャー・リーガーの誕生に大きな功績を残した。その後、
イチローら多くの野手も生まれた。架け橋となった野茂さんの存在は大きい」と語っていた。
ピアザは1995年、野茂英雄がメジャー・デビューしたときのドジャースの正捕手。5月2日の野茂のメジャー初登板など、野茂の登板28試合のうち23試合でマスクをかぶった。翌96年9月17日、ロッキーズ相手にノーヒッターを演じたときも、球を受けていた。日本のファンの間でも人気者になり、日本の建設機械、鉱山機械の大手メーカーであるコマツのCMに起用されたほどだ。
ピアザは98年のシーズン途中でマーリンズにトレードされた。同年5月14日の本拠地でのフィリーズ戦が最後の試合だったが・・・
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